「イエス様とはだれか」 ルカによる福音書4:31~44

深谷教会聖霊降臨節第3主日礼拝2022年6月19日
司会:岡嵜燿子姉
聖書:ルカによる福音書4章31~44節
説教:「イエス様とはだれか」
    法亢聖親牧師
讃美歌:21-402,405
奏楽:野田周平兄

説教題 「イエスさまとはだれか」       ルカによる福音書4章31節~44節       

〇実にイエスさまは、不思議なお方です。
 イエスさまは、故郷のナザレの会堂で賞賛された後、がけから突き落とされそうになりました。故郷の人々は、最終的にイエスさまを殺そうとしたのです(16~29)。しかし、イエスさまは、不思議な力でその場を立ち去られたのです(4:30)。このことが、イエスさまの今後を証明しています。つまり、イエスさまの語られることと行われた事柄すべてが私たちにとって、賞賛すべきことであるのですが、そうかといって私たちがすぐにお言葉通りに従えるか、また行えるかと言いますとそう簡単にはできないことばかりです。そして、私たちは、イエスさまの言動の本質を分かっていないことが往々にしてあるのです。イエスさまは、そのような不思議なお方です。
〇イエスさまは、神さまからの権威とこの世をご支配する力を授かり、この世に来られたメシアです。
 イエスさまは、安息日に会堂(シナゴク)の中で「人々に教えておられた」(4:31)とあり、人々はその教えに「非常に驚いた」。「その言葉に権威があった」(4:32)からです。ここで使われている「権威」と言う言葉は、ギリシア語の「エクスーシア」で、「権利、権威、支配」と訳される言葉です。こうした意味から、神に由来している言葉であって「本質から出てくる言葉」つまり、「神さまから出てくる言葉」と言う意味が込められています。権利も権威も支配も、力がなければ行使(こうし)できないことです。イエスさまが、会堂内で男にとりついていた汚れた悪霊に「この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその人を投げ倒して出て行きました(4:35)。人々は「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた悪霊に命じると、出て行くとは」(4:36)と言ったのです。私たちはイエスさまの言葉が引き起こす現実、そのことを考えていく必要があると思います。その後イエスさまは「会堂を立ち去り」(4:38)、シモンの家に行かれ、そこでシモンの高い熱で苦しんでいた姑(しゅうとめ)を癒されました。そして、「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者やその家族が病人たちをイエスのもとに連れてきた」(4:40)とあります。ユダヤの一日は夕暮れから始まります。つまり、人々は、安息日が明けるのを待って病人をイエスさまのもとに連れてきたのです。安息日には働いてはならないという規定があったからです。当時は、病人を癒すことや悪霊を追放することなど(医療的行為)も宗教的な働きとみなされ、安息日にそのような行為をしたり受けたりすることは、律法違反となるからです。ところがイエスさまは、安息日に病人を癒しや悪霊にとりつかれて苦しんでいる人の悪霊を追放することを進んでなさいました。どうして、イエスさまはあえて安息日に病人を癒し悪霊を追い出され、当時のユダヤの宗教的指導者であった大祭司たちから律法違反者扱いをされるようなことをされたのでしょうか。それは、ご自分が「律法の完成者であり」(マタイ5:17)、「安息日の主である」(ルカ6:5)ことをお示しになるためです。つまり、旧約のイスラエルの民が待ち望んでいた救い主(メシア)であることをお示しになるためです。
〇イエスさまの正体は、悪霊が叫んだように「神の子」であり、「神の聖者」です。
 イエスさまは、会堂の内でも外でも病を癒し、悪霊を追い出しました。悪霊は、「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体はわかっている。神の聖者だ」(4:34)。また、「お前は神の子だ」(4:41)と言って多くの人から出て行きました。このことから、悪霊たちは、イエスさまの正体を知っていたのです。そうです。イエスさまは、「神の聖者」であり、「神の子」で、自分たちを滅ぼしに来たメシアであるということを知っていたのです。
 悪霊が「かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか」という彼らの叫びの中の「来た」と言う言葉に着目したいと思います。
 本日の聖書の箇所のすぐ前の4:16~19節でイエスさまは、ナザレの会堂でイザヤ書をお読みになられました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」(4:18)また、イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」(3:22)と言う声を、イエスさまは聞かれました。この言葉から分かるように、イエスさまは「神の子」であり、神さまから“霊”を注がれてこの世に遣わされたメシアなのです。そのイエスさまが、天(神さま)から地上に遣わされて「来た」。イエスさまが地上に派遣されてきたことを敏感に感じ取るのは、人々を支配する権力を持っている悪霊でしょう。ですから、彼らは、イエスさまを見た途端「ああ、お前と私たちと何の関係があるのか」と叫び、大声でイエスさまの正体を叫んだのです。
 だがイエスさまは悪霊にものをいうことをお許しになりませんでした(4:35、41)。なぜでしょうか。「悪霊追放」や「病の癒し」は、宗教的な事柄だと先にも述べましたが、端的に言いますと、支配者の交代を意味するからです。それまでその人を支配していた者が追い出され、天から送られてきた者が支配するそういう現実が今始まった。そのことを「来た」と言う「福音を知らせる」(4:18)と言うのです。神さまは、そのためにイエスさまをこの世に遣わし、イエスさまの上に“霊”を置かれたのです。ですから、悪霊たちは、「神の子」「神の聖者」と叫んだのですが、そのようなことを口にすることを悪霊どもには、お許しになりませんでした。そうです、彼らにとって、イエスさまがこの世に来られたことは、福音ではなく、彼らが滅ぼされることを意味しているからです。
 悪霊は、イエスさまが神さまから遣わされたメシアであることを知っていましたが、当時の人々はだれもそのことを知りませんでした。でも、現在のわたしたちは新約聖書、特に福音書から知ることがゆるされています。そして知るだけでなく、聖霊の導きによって信仰が与えられ、「イエスは、キリスト(メシア)である」と告白することができるようになったのです。
〇イエスさまのご支配とイエスさまの愛の導きに身を委ねて共に歩んでまいりましょう。
 「人里離れたところ」(4:42)は、イエスさまの祈りの場所です。ところが、そこに群衆が来て「自分たちから離れないように」(4:42)と言います。群衆の願いの根底には、イエスさまに対する誤解があります。彼らは、イエスさまを霊媒師か病を癒す人だと思っていたのです。近くにいれば、とても都合の良い人として見ていたのです。イエスさまの本当の目的は、単に病気を癒し、悪霊を追い出すことではなく、「死に至る病」即ち、この世の死やこの世の支配者サタンから私たちを解放するために来られたメシアなのです。そうです、イエスさまは、単に体の癒しや私たちを苦しめる悪霊やサタンからの解放だけでなく魂の癒しと救い(罪を贖い永遠の命)をお与え下さるためなのです。イエスさまは、福音即ち、「神の国」を告げ知らせ、私たちを皆神の国(神さまのご支配の行き届いたところ)に招くためにこの世に来てくださったのです。このお方だけが、私たちを支配し、私たちを神さまから引き離す罪の力から解放してくださるメシアなのです。そのために「ユダヤの諸会堂に行って宣教された」(4:44)のです。イエスさまこそ、私たちが礼拝し、この身をささげてお仕えするお方なのです。

関連記事

PAGE TOP