深谷教会クリスマス礼拝2024年12月22日
司会:佐藤牧師
讃美歌:21-255
聖書:ヨハネによる福音書1章1~14節
奉唱:「神の御子にますイエス」聖歌隊
説教:「暗闇の中で輝く」
佐藤嘉哉牧師
讃美歌:」21-262
奏楽:小野千恵子姉
説教題:「暗闇の中で輝く」 ヨハネによる福音書 1:1~14 佐藤嘉哉牧師
2000年以上前、ベツレヘムの片隅の馬小屋で、一人の赤ん坊がお生まれになりました。一見すると、これは世界中で日々起こっている無数の出来事の一つに過ぎないように見えるかもしれません。しかし、この出来事こそ、人類の歴史を永遠に変えることとなったのです。
かつてイザヤという預言者が神からのメッセージを預かり、人々に宣べ伝えました。「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」一人の赤ん坊が生まれる更に何百年も前に、預言者イザヤを通して語られたこの約束が、住民登録をするため人々がごった返したベツレヘムの片隅で実現しました。神は、ご自分の民を決して見放されることなく、約束された救い主を遣わされました。これは神の誠実さの最も明確な証の一つと言えるでしょう。
それにしても人類の歴史を永遠に変えることとなる人物をなぜ、この世の中で最も手がかかり、最も弱い状態である赤ん坊として生まれさせたのでしょうか。宮殿や屋根や壁がしっかりしている部屋でではなく馬小屋で生まれなければならなかったのでしょうか。ピリピ人への手紙2章6節から8節にはこのような言葉があります。「キリストは、神のかたちであらわれたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちいをとり、人間の姿になられた。」神は今まで人を裁き、圧倒的な力によって道を違える人を導いてきました。世の人々が神に背くごとに、人の力ではどうすることもできないような力によって裁いてきました。しかし今回のこのキリストの誕生の出来事は他とは毛色が全く違います。今まで人と神という二者の立場がはっきり分かれていた、交わることのない隔たりがあったのです。しかし今回は神が私たちの苦しみや弱さを完全に理解するために、私たちと同じ人間としての生涯を選ばれました。最も高い所におられる方が、人と同じ目線になられた。これは驚くべきことです。この赤ん坊が生まれる場面も、一見すればかわいそうと思うような場所での出産かもしれません。しかし神が私たちと同じ目線になられたことの喜びを伝えています。これは驚くべきことです。
時を同じくして、最初に救い主が生まれたという喜びの知らせを受けたのは、当時の社会で最も身分の低い立場であった羊飼いでした。羊飼いは当時人々が遵守していた律法の通りの安息日を、羊を守るという外から受けた仕事のために守ることができませんでした。そのため羊飼いたちは周囲から批判され、罪人だからと差別を受けていました。仕事をしなければ生きていくことができない。その仕事は人から羊を預かって守る仕事。しかしその仕事のため人から差別を受ける。この負の連鎖が羊飼いたちの首を絞めていたのです。しかし彼らの心はひねくれてはいませんでした。むしろ他の人々よりも純粋で、救いを心から求めていたことが語られています。主の使が現れ、救い主が生まれた知らせを受けた後、彼らは立って「さあ行こう」と声を上げました。彼らの信仰がこのように熱く純粋でなければ、ここでこのような言葉が出ることはなかったでしょう。神はこのように人々の心を見ておられるのです。「ここまで完璧に律法を守っているのだから、神は私を救ってくださるに違いない」という思いを持つ人ではなく、主の救いを真剣に願い求めていたこの世で最も小さくされた人のもとに来てくださる。神の深い憐れみと愛が感じられます。
さらに東の国の占星術の学者もそうです。彼らは国も宗教も違います。しかし彼らはこの世界を救う神の子が生まれたことを確信して、東の国から訪ねてきました。彼らは神を礼拝する心得をしっかり持っており、またその神がどのような神なのかをしっかり知っていたのです。ですから彼らはそのイスラエルの文化から、赤ん坊のもとにたどり着いたとき、黄金・乳香・没薬を献げました。神の救いが、社会的地位や民族、教育レベルに関係なく、すべての人にもたらされていることを示しています。だからこそこのクリスマスは喜びの祝祭なのです。
2000年前の出来事は、現代を生きる私たちにどのような意味を持つのかを今、思いめぐらせたいと思います。今日、私たちの世界は様々な課題に直面しています。戦争、貧困、環境問題、そして人々の心の中の空虚感。テレビやインターネットのニュース、新聞を読むとそのことばかりです。正直暗い出来事ばかりで希望が見いだせない状況がどんどん出てきている様に思います。以前より暗闇が濃くなったように感じますが、それは私たちの生活の外部の情報が耳に入り易くなったからであり、この世界は昔も今も変わらず、深い深い暗闇の中にあります。私たち人間は暗闇の中でしか生きることができないのです。しかしそんな暗闇の中を照らす一人の人が私たちに出会ってくださいました。それが主イエス・キリストです。この事実を前に私たちはどのように立ち、神の御前にあるべきでしょうか。世の中はクリスマス一色です。主イエス・キリストの誕生の本当の意味を知らずにいる人々も、クリスマスを祝うという不思議な状況です。私たちはそのような世の中にあって生きています。その世の中の流れに乗り、ただ待つだけで訪れるクリスマスの時を守るだけで良いのでしょうか。この世の中は暗闇であると感じることを放棄していてはいけないと思うのです。わたしたちは今日この日に、この礼拝堂へと集められました。目の前には4つの灯があるだけです。しかしこのわずかな光であっても、神の言を受け取り、闇を払いのける信仰を熱く燃やして行けば、この光は幾倍にも増していくでしょう。私たちは残りの者・選ばれた者として、主の平和を実現することに邁進し、馴染み深さに心奪われるのではなく、その場所にあって主の栄光を語る光として、このクリスマスを歩んでいきたいと思います。
神の言がわたしたちに与えられました。この言こそ希望であり、暗闇を払う光であります。その光が私たちのもとに、世界中で輝く希望となるよう心を合わせていきたいと思います。主イエス・キリストの誕生を心から祝いましょう。