「礼拝」パート1 2021年10月13日

「聖書の学びの会」における法亢聖親牧師からのメッセージです。

礼 拝 パート1             ヨハネによる福音書4:20~24                      
 
「『私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。』イエスは彼女に言われた。『わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、私たちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』」(ヨハネ4:20~24)
 約2000年前イスラエルの民は、創造主なる神さまを礼拝していました。
当時、北イスラエルの人々はゲリジム山に神殿を建ててそこで礼拝をし、一方ユダヤの人々はエルサレムにあるエルサレム神殿で礼拝をしていました。しかし、イエスさまは言われました。「あなたがたが父を礼拝するのは、この山(ゲリジム山)でもなく、エルサレムでもない。真の礼拝者が霊(神の霊=御霊)とまこと(神のことば=みことば)によって父を礼拝する時が来る。それが今です」と。この「今」というのは、実はイエスさまが十字架で人類の罪を取り除き、三日目によみがえり、罪に死んで、神の義(正義)に生きることが行われた時をさしています。まだ十字架にかかられる前でしたが、ご自身がいらっしゃるので、あえて「今」という言い方をされています。ここは、「今の時代」と読んでもよいかもしれません。
現在世界の人口が78億人と言われていますが、その三分の一の人たちがキリストの教えを信じて歩んでいます。ところが、総本山の神殿がないのです。どんな宗教でも総本山はあるものですが、キリスト教にはありません。なぜでしょうか?

「そこで、ユダヤ人たちが答えていった。『あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。』イエスは彼らに答えて言われた。『この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』そこで、ユダヤ人たちは言った。『この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。』」  (ヨハネ2:18~20)
父なる神さまのご計画は、神さまご自身の御霊(聖霊)が信じる人に臨み、心に御霊が住まわれたその人自身が神殿となるという驚くべきものです。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言うのは、イエスさまが死んで、三日目によみがえったら、神さまの驚くべきご計画が実現したことを知りなさいということを語っているのです。イエスさまが実際によみがえられた時に、弟子たちもこのことばを思い起こして信じることが出来ました。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(Ⅰコリント3:16) つまり、今世界の三分の一の人たちは自身を神殿として神さまに礼拝をしているのです。そしてキリスト者の総本山は、神の国(天の国)のエルサレムにあるのです。ですから、私たちは天に向かって礼拝をおささげしています。

「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心をつくし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」(申命記30:6)
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉は、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:29)
 心を覆っていた包皮を取り除いて、私たちの心に神さまの御霊が住んでくださる。イエスさまをキリスト(救い主)として信じる信仰の契約、つまり「新約」の時代の今、私たちひとりひとりの心に神さまご自身が存在しているのです。「心の割礼」とは、神さまの御霊が心に住んでくださっているという契約のしるしであり、神さまのあかしです。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたその神殿です。」(Ⅰコリント3:16)
 イエスさまを信じて受け入れた私たちの中には、御霊が宿ってくださっています。だから私たちの体は、神殿であり、聖霊の宮です。これは私たち自身のことであり、教会のことでもあります。だから、この私たちの体は、自分だけのものではなく、神さまのものでもあるので、私たちは自分自身の体を大切に扱わなければならないのです。私たちがイエス・キリストを信じるなら。しかし、イエスさまに守られた神殿であっても自分の方から勝手に壊してしまうことはできてしまいます。自分で神殿を壊すとは、イエスさまの中に留まらず出て行ってしまうことです。例えばほかの偶像(誘惑者)に心奪われてイエスさまから離れてしまうことです。

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