深谷教会聖霊降臨節第1主日礼拝(聖霊降臨日)2025年6月8日
司会:佐藤牧師
聖書:使徒行伝2章1~11節
説教:「教会の誕生日ーペンテコステー」
佐藤嘉哉牧師
讃美歌:21-348
奏楽:小野千恵子姉
説教題:「教会の誕生日-ペンテコステ-」 使徒行伝2:1~11 佐藤嘉哉牧師
今日私たちは使徒行伝2章1~11節に記された、教会の誕生ともいえるペンテコステの出来事を共に味わいたいと思います。この日はただの歴史的な出来事ではなく、神の偉大な計画が現れ、キリストの福音が全世界へと広がる礎が築かれた瞬間です。聖霊の降臨によって、弟子たちの小さな集まりが、神の力によって世界を変える教会へと変えられたのです。この出来事を通して、神の約束の確かさとその成就の尊さを心に刻み、私たちがこの計画にどのように参与する使命を担っているかを考えましょう。
ペンテコステの日、弟子たちは一つの場所に集まっていました。エルサレムに集まった彼らは、ユダヤ教の祭りである五旬節を祝うためにそこにいたのです。この五旬節は、ユダヤ人にとって重要な祭りでした。出エジプト記で神がイスラエルの民に律法を与えたことを記念する日であり、収穫の感謝をささげる時でもありました。しかしこの日、神はこれまでとは異なるまったく新しいことをなさろうとしていました。弟子たちはイエスが約束された聖霊を待ち望み、祈りつつ心をひとつにして集まっていたのです。そこには期待と同時に不安もあったかもしれません。イエスは昇天され、彼らは主の言葉を信じて待っていました。すると突然、天から激しい風のような音が響き、炎のような舌が現れて、一人一人の上に留まったのです。
この出来事はただの自然現象ではありませんでした。聖書は弟子たちが聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で語り始めたと記しています。ガリラヤ出身の、平凡な漁師や税吏であった彼らが、突然、パルティア人、メディヤ人、エラム人、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポント、アジア、フリギヤ、パンフィリア、エジプト、リビヤ、クレネ、クレタ、アラビアなど、さまざまな地域から来た人々の言語で神の業を語り始めたのです。これは人間の能力を超えた、神の力による奇跡でした。聖霊が彼らに臨み、彼らの口を通して神の偉大な業を宣べ伝えさせたのです。この瞬間に弟子たちの小さな集まりは、単なるユダヤ教の一派ではなく全世界に向けた神の救いの計画の器へと変えられました。
この出来事の背景には、神の永遠の計画があります。ペンテコステは、旧約聖書に記された神の約束の成就です。ヨエル書2章28節で、神は「わが霊をすべての肉なる者に注ぐ」と約束されました。また、エゼキエル書36章26~27節では、神が新しい心と新しい霊を与え、ご自身の霊を民の中に置くと言われました。主イエスご自身も、ヨハネ福音書14章16~17節で、父なる神が助け主である聖霊を送ってくださると約束されました。ペンテコステの日にこれらの約束が現実となったのです。聖霊の降臨は神がご自身の民と共におられることを示し、キリストの救いの御業が全世界に及ぶことを宣言する出来事でした。弟子たちは、もはや自分たちの力で働くのではなく、聖霊の力によって神の計画を進めるという使命を以て使徒となったのです。
しかし、この出来事を見聞きした人々の反応は一つではありませんでした。エルサレムに集まっていた多くの人々は、驚きと不思議に思い、弟子たちが語る言葉に耳を傾けました。彼らは、自分たちの母国語で神の偉大な業を聞くことができたのです。これは神の救いが特定の民族や言語に限定されないことを示しています。神の福音はすべての民、すべての国に届くように定められていました。しかし、一方で嘲る者たちもいました。彼らは弟子たちが新しいぶどう酒に酔っているのだと笑いました。このような反応は今日に至るまで福音が語られるときにしばしば見られるものです。神の業を目の当たりにしても心を閉ざし、受け入れない人々がいるのです。それでも神の計画は止まりません。ペンテコステの日はこうした嘲りや誤解を乗り越え、福音が力強く前進する始まりとなりました。
弟子たちが語った内容は神の偉大な業、すなわちイエス・キリストの十字架と復活による救いの御業です。彼らは聖霊に導かれて、主イエスこそが約束された救い主であり、神の国の到来を告げる方であることを大胆に宣べ伝えました。このメッセージはユダヤ人だけでなく、さまざまな国から来た人々の心に響きました。使徒行伝2章11節では、彼らが「神の力ある業を語るのを聞いた」とあります。この「力ある業」とは、神がキリストを通して成し遂げられた救いの御業に他なりません。ペンテコステは単なる奇跡の出来事ではなく、キリストの福音が全世界に広がるための神の計画の始まりだったのです。
この出来事の尊さは、神の計画の確かさにあります。神は旧約の時代から、すべての民を救うというご自身の意志を明らかにしてこられました。イザヤ書49章6節で、神は「わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで届ける者とする」と言われました。ペンテコステの日に、この約束が具体的な形で実現し始めたのです。弟子たちの小さな集まりは聖霊の力によってユダヤ教の一グループを超え、全世界に福音を伝える教会へと変えられました。彼らはもはやエルサレムに留まるのではなく、すべての国々に福音を宣べ伝える使命を受けたのです。この使命は私たちにも引き継がれています。私たちはキリストの証人として聖霊の力に頼り、福音を大胆に宣べ伝えるよう召されているのです。ペンテコステは私たちがこの使命を果たすための力の源が聖霊にあることを教えてくれます。
ペンテコステの出来事は単に教会の始まりを示すだけではありません。それは、神の国の到来を告げる出来事でもあります。主イエスは十字架と復活によって罪と死に勝利され、神の国をこの地上にもたらされました。聖霊の降臨は、その神の国が弟子たちを通して具体的に現れることを意味しました。彼らは聖霊に満たされて、恐れや弱さを乗り越え、大胆に福音を語りました。この力は今日の教会にも与えられています。私たちが弱さや困難に直面するとき、聖霊は私たちを力づけ神の計画を進めるために用いてくださいます。私たちの使命は、弟子たちと同様に聖霊に導かれてキリストの愛と救いを周囲に分かち合うことです。ペンテコステは、神がご自身の民を決して見捨てず、常に共にいてくださることを示す出来事です。
さらにペンテコステは、神の救いの計画が普遍的であることを明らかにします。さまざまな国から来た人々が、自分の言語で福音を聞いたという事実は、神の愛がすべての民に及ぶことを示しています。ガラテヤ書3章28節にあるように、「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」ペンテコステの奇跡は、この真理を具体的に示しました。神の救いは特定の民族や文化に限定されず、すべての人がキリストにあって神の家族となることを可能にするのです。この普遍性は教会の使命の核心です。私たちはすべての民に福音を宣べ伝え、キリストの愛を分かち合うよう召されています。この使命は私たちの生活のあらゆる場面で、言葉と行いを通して果たされるべきものです。
ペンテコステの出来事は教会の誕生日として祝われるだけでなく、私たちの信仰の土台と使命を再確認する機会でもあります。弟子たちの小さな集まりが聖霊の力によって全世界に広がる教会へと変えられたように、私たちもまた聖霊に導かれて神の計画に参加する者とされています。神の約束は決して変わりません。ペンテコステの日に弟子たちに与えられた聖霊は、今日も教会に、すなわち私たち一人一人に注がれています。私たちが恐れや弱さに直面するとき、聖霊は私たちを力づけ、キリストの証人として大胆に生きる力を与えてくださいます。私たちの使命はペンテコステの弟子たちのように、聖霊の導きに従い、キリストの福音をこの世界に宣べ伝えることです。それは、教会の礼拝の中だけでなく、家庭、職場、地域社会において、キリストの愛を具体的に示すことでもあります。
最後に、ペンテコステの出来事は、神の計画の偉大さと尊さを私たちに教えています。神は、ユダヤ教の小さな一グループから始まり、全世界に福音を広げるという驚くべき計画を立てられました。この計画は、人間の知恵や力によるものではなく、聖霊の力によって実現しました。使徒行伝2章1~11節は、この神の計画の始まりを鮮やかに描いています。弟子たちは、聖霊に満たされ、神の偉大な業を語り始めました。その言葉は、さまざまな国の人々の心に響き、教会は誕生しました。この出来事は、神の約束が確かであり、キリストの福音がすべての民に届くことを示しています。私たちは、この神の計画に参与する者として、聖霊の導きを信頼し、キリストの証人として歩む使命を担っています。
皆さん、ペンテコステの日は教会の誕生日であり、神の救いの計画が力強く始まった日です。この日を思い起こし、神の約束の確かさとその成就の尊さに心を向けましょう。そして聖霊の力に信頼し、私たちの使命であるキリストの福音を大胆に宣べ伝え、愛と行いによって神の国を現す者として歩んでまいりましょう。