「イエスさまの受洗」 マタイ福音書3:13~17

「小羊の会」2023年2月2日

 法亢聖親牧師からのメッセージ

               イエスさまの受洗      (マタイ3:13~17)

 「ところが、ヨハネは、思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られるのですか。』しかし、イエスはおこたえになった。『今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。」(マタイ3:14,15)

1 洗礼を受けるイエスさま
 ヨハネは、洗礼を受けようとして近づいてこられたイエスさまを見て当惑しました。洗礼は自分がイエスさまから受けるものであって、イエスさまに自分が授けるものではないと知っていたからです(3:13,14)。ヨハネの洗礼は、悔い改めと罪の赦しへの誘いでしたが、もしイエスさまが救い主であるなら、悔い改めの必要も、神さまから赦しを受ける必要もないはずです。しかし、イエスさまが洗礼を受ける人々と、同じ立場に立とうとされたのです。イエスさまは、洗礼を受けられた時、罪人のひとりに数えられました。それによって、人類が義とされるためです。イエスさまは、罪人としてではなく、私たち人間と連帯するために、自ら罪人の群れに身を投じられたのです。

2 天からの声
 イエスさまが洗礼を受けると、天から神さまの霊がくだってきました(16節)。イエスさまは、この出来事を通して、悔い改める者を神さまは受け入れてくださり、聖霊を送ってくださることを示されたのです。すると、天から「これは、わたしの愛する子、私の心に適う者」(17)と言う声が聞こえました。「愛する」は、選ぶ、支持する、霊を与えると同一の事態を指します。天からの声によって、イエスさまは、ご自分が神さまから選ばれた者であり、十字架の道を歩むことを悟られました。神さまは、人の魂が救われることを喜ばれます。イエスさまは、救いを達成する唯一の道は、十字架の死にいたるまでの犠牲的愛であることを確認されたのです。

3 相手と同じ立場に立つ(3:14,15)
 アメリカ人の未亡人のバニス夫人のご子息は、太平洋戦争で神風特攻隊の攻撃により戦死していました。そのバニス夫人が通う教会に元神風特攻隊員であった日本人が証しに来ると言うことを聞き、夫人は牧師に次週の礼拝を休みますと言う連絡をしました。礼拝で日本人パイロットは、特攻隊の訓練中に終戦となり、戦後、どのようにしてキリストにより救われたかを証ししました。牧師がその日本人パイロットを案内して礼拝堂を出ようとした時、一人の婦人が二人の目の前に立ちふさがりました。それはバニス夫人でした。彼女は、正面から日本人パイロットの目を見て、「私の息子は神風に殺されました。」と言いました。周囲の人たちに緊張が走ました。そのような中、彼女は「主はあなたの罪を赦されました」と言いました。そして「今日、主は私の罪をも赦して下さいました」と言って、日本人パイロットを抱きしめて、泣きに泣かれました。バニス夫人は、何十年も抱き続けて来た悲しみと怒りから解き放たれたのです。

 イエスさまは、神の子でありながら、人間と同じ立場に降りて来られ、人の苦しみを理解され、十字架により、贖いの道を備えられたのです。この愛を知った時、私たちの傷は、いやされ、敵を憎まずに済むようになるのです。罪のないお方が罪人のひとりに数えられ、救いが成就しました。ここに現れた神さまの愛を受け入れ、その愛を分け与える者となりたいものです。

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