「聖書の学びの会」2023年6月7日
★法亢聖親牧師からのメッセージ
「ことばの心地よさを味わう」 箴言から学ぶ 箴言12章15~28節
「つるぎをもってさすように、みだりに言葉を出す者がある。しかし知恵ある人の舌は人をいやす。」(12:18口語訳)
「軽率なひと言が剣のように指すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」(12:18新共同訳)
「批評好きは人を傷つけますが、知恵ある人のことばは慰め、いやします。」(12:18リビングバイブル)
箴言の10章以降には無数の格言が記されています。一見、これらはことわざの羅列に思え、そこに流れや文脈をみいだせないように思えます。けれども、よくよく観察してみますと、これらがランダムに配列されているわけではないことがわかります。
たとえば今日の箇所では、「言う」(17節)、「いつわりを言う」(17節)、「みだりに言葉を出す」(18節)、「舌」(18、19)、「くちびる」(19、22節)、「おろかなことをあらわす)」(23節)、「言葉」(25節)など、ことばに関する格言が多く集められています。
また、構造上の対応関係も見てとることができます。15,16節は、「愚かな人」について語る1行目と「知恵のある者」「賢い人」について語る2行目が対応しています。つまり、この2節は4行で一つの格言を構成しているのです。また20、21節は、「悪」と「欺き」について語る20節の1行目と、「悪しき者」と「わざわい」について語る21節の1行目が対応しています。15、16節がA(愚かな人)B(知恵のある者)A´(愚かな人)B´(賢い人)という構造になっているとすれば、20,21節A(悪、欺き)B(善(平和)をはかる人)B´(正しい人)A´(悪しき者、わざわい)という構造になっているのです。これと似た構造は、16、17節、22,23節にも見られます(下記に構造を示しました)。 また、より広い視野で見るなら、15節と28節も対応しているかもしれません16章25節に「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」(新改訳)とあることからも分かるように、15節のまっすぐに見る「歩み」は、「道」を暗示させます。 それを受けるかのように28節では「義の道にはいのちがあり、その道筋には死がない」と語られ、愚か者が歩むのとは異なる「義の道」が示されています。
12:16A 愚かな人は、すぐに怒りをあらわす
B 賢い人は、はずかしめをも気にとめない。
12:17 Ⅽ 真実を語る人は正しい証言をなし
Ⅾ 偽りの証人は偽りを言う、
12:22 Ⅾ´ 偽りを行うくちびるは主に憎まれ、
Ⅽ´ 真実を行う者は彼に喜ばれる
12:23 B´ さとき人は知識をかくす、
A´ 愚かな者は自分の愚かなことをあらわす 1
このように、とりとめもなく羅列されているように思える格言も、実は何らかの意図をもって並べられているのです。ただ、その構成を完全につかむことは容易ではありません。たとえば、上の16,17節対22,23節の構造の中に、18~21節をどのように位置づければよいのかは、はっきりとは答えられません。どうしても覚えておくべきなのは、一つ一つの格言は有機的につながっているということです。これらはバラバラに存在するのではなく、互いに補い合っています。気に入ったものをピックアップするのではなく、何度も読み返し、じっくり意図を思い巡らす必要があるのです。
天の父なる神さま
美しく織りなされた知恵のことばを与えてくださり、感謝いたします。軽率に話すことの多い私たちですが、まず忠告のことばに耳を傾け、じっくり思い巡らすことができるようにしてください。 み子の御名によって祈ります。 アーメン