「小羊の会」2023年3月2日
法亢聖親牧師からのメッセージ
「幸福への8つの心構え」 (マタイ5:3~12)
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)
1 貧しい心、悲しみ、柔和、義、あわれみ
「心」と訳された語は、「魂」を意味しています。即ち、「心の貧しい人々」とは、神さまに頼らなければ霊的な欲求は満たされないことと、自分の無力さを知っている人のことです。「幸い」は、神さまに従う時、与えられる祝福です(3節)。
「慰め」とは、悲しみを跳ね飛ばす強靭な精神力が与えられることで、それを実現する助け主は聖霊です。悔い改める人(神さまに立ち返ることを望むことを望む人)は、聖霊の導きを得て祝されるのです(4節)。
「柔和」とは、神さまの前にへりくだり、且つこの世においては堂々と生きる態度で、「地を受け継ぐ」とは、暮らしに神さまのご支配が及ぶことを指します(5節)。
「義」とは、キリストの贖(あがな)いのことで、救いと同義語です。救いを得た者は、神さまの愛で、満たされます(6節)。
「あわれみ」は、相手の立場で物事を見て、人の失敗を心からゆるし、助けの手を差し伸べる態度を指します(7節)。
2 きよさ、平和、迫害
「心のきよい人々」とは、神さまのみ心に対し、二心を持たない人のことで、そのような人は、神さまの御業が働くことで良い実を結ぶ者となれるのです(8)。
「平和」は、魂が救われ、心も体も満ち足りた、人間の最高の幸福です。ここでの「神の子」とは、神さまのような働きをすると言う意味です(9節)。
以上の7つを実行する人は、この世から迫害されますが、そのような人たちは天に宝を積んでいます(10節)。幸福への態度の総まとめとしてイエスさまは、迫害された時、耐えるどころか、むしろ喜んでいなさいと言われました。迫害を受けることは、キリストに対する忠誠を示すことになり、後進の歩みを歩みやすくするからです(主の道を開くことになるのです)。
3 柔和とあわれみ マタイ5章5節、7節
河野進先生の詩に次のような詩があります。
「お母さん、子守屋さん、着物屋さん、そうじ屋さん、看護婦(師)さん、
散髪屋さん、炊事屋さん、家庭教師屋さん、洗濯屋さん、お百姓さん、お風呂屋さん、
生涯無給の奉仕屋さん、心配屋さん、こんな人、ほかにいるだろうか」
この詩のように忙しい主婦は、家族から特に夫から大切にされ、優しく愛されることで自分の価値を見い出します。
ある専業主婦の方がスーパーで買い物をしていた時、置き引きに会いました。ベビーカーを少し移動しようとしたわずかなすきに、床に置いたバックを取られたのです。その中には、お財布のほか携帯電話や家の鍵が入っていました(自宅の住所の分かるものも入っていました)。すぐに携帯電話もほかの人が使うことができないよう手配をし、警察にも被害届を出し、家の鍵も取り替えました。しかし、大変だったその出来事を奥さんから聞いたご主人は、しからず、「子どもも無事で、あとはお金で解決できることだからよかったね。いつも一生懸命やっているし、子育ては大変なこと分かっているよ」と言ってくれたそうです。その夫人は、早く子育てから離れて仕事に復帰したい(仕事をしたい)と考えていましたが、夫がお金には換算できないほどの子育(育児)を高く評価してくれていることを知り、もう少し子供が幼稚園に行くまでは専業主婦を続けようと思ったそうです。素直にあやまったり、ゆるし合うには、神さまの前に心を貧しくし、謙遜になり、柔和で、義を求め、あわれみ深くすることが肝要だと思います。こうした態度こそイエスさまがお教え下さった神さまから祝福を受ける態度だと思います。(付記 このご主人は、クリスチャンとのこと)
祈りましょう。
天の父なる神さま
あなたは、私たちの弱いところに働いてくださいます。自分の弱さを、欠けを神さまに申し上げ、悔い改め神さまに立ち返り、神さまとのパイプ、聖霊がくだってくるところのパイプをふさいでいる栓を外しますから、溢れるばかりの聖霊で私たちの心を満たして下さい。また私たちの生活を、人間関係を豊かにしてください。
み子のみ名によって祈ります。 アーメン