「愛の三位一体」マタイによる福音書22:34~40

聖霊降臨節第15主日礼拝2022年9月11日
司会:渡辺清美姉
聖書:マタイによる福音書22章34~40節
説教:「愛の三位一体」
   法亢聖親牧師
讃美歌;21-351、476

説教題 「愛の三位一体(さんみいったい)」  マタイによる福音書22章34節~40節       法亢聖親牧師
   
「律法の中で、どの掟(おきて)が最も重要でしょうか。」(22:36)
 律法の専門家は、「イエスさまを試そうとして」(22:35)「律法の中で、どの掟(おきて)が最も重要でしょうか」(22:36)と尋ねました。イエスさまの時代「何々しなさい」という命令の掟が248、「何々してはならない」と言う禁止命令が365、合計613の掟がありました。このような多くの掟・律法を順序付け、その中でも最も重要な掟を答えることは、律法学者でも至難の業です。へたな答え方をすれば即逮捕となる問いです。
 しかし、イエスさまは、この難しい問いに対して、質問者の悪意をはるかに超えて、最も大切な掟を的確に答えられたのです。
 イエスさまが第1にお答えになられたのは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(22:37)と言う掟です。これは申命記6:5に記されているシェマーの掟の最初の掟です。
 それでは、「神を愛する」とはどういう事でしょうか。それは自分と言う存在を神さまとの関係の中におくと言うことです。神さまが自分を生かしてくださっておられることを心に留め、感謝をし、神さまを神さまとしてお従いする事です。
 第1の掟を語られた後で第2の掟をイエスさまは、語られました。「隣人を自分のように愛しなさい」(22:39)という掟です。これは、レビ記19:18に記されている掟です。
 第1の掟と第2の掟は、自動車の両輪のように並列に並んでいるというより、むしろ自動車のエンジンとタイヤにたとえたほうが適格だと思います。エンジンによって自動車は走りますが、実際に道の上を走る部分はタイヤです。神さまへの愛と隣人への愛は、密接につながっているのです。「神を愛していると言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが神から受けた掟です」(Ⅰヨハネ4:20,21)。
 イエスさまは、この2つの愛の掟を同時に語られました。この2つは同時にと言うことが大切です。神さまへの愛は、隣人への愛によって具体的に示される一方、隣人への愛は神さまへの愛によって基礎づけられているからです。
 イエスさまは言われました。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)と。
 イエスさまが本日お示しになられた愛は、神さまと隣人に向かうだけでなく、自分へと向うのです。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」(22:39)とあります。つまり「自分を大切にする愛」です。愛は、神さまと隣人、そして自分への三方向に向かうのです。愛は、三位一体(さんみいったい)と言えると思います。
 もう少し3番目の愛について考えてみましょう。人は誰でも自分を愛することを知っているのではないでしょうか。ですから神さから愛され罪赦され、神の子としてキリストを心の内に宿している人は、なおさら自分のエゴではなく、キリストの愛で心が満たされていますから自発的に隣人を愛することができるのです。つまり隣人への愛は、自分の内側からあふれ出てくるものなのです。自分が神さまの赦しの中、救いの中に生かされているという信仰によって「自分を愛するように隣人を愛する」ことが自然にできるようになるのです。
 本日の説教題を「愛の三位一体」としたのは、聖書の中で最も大切な愛の掟には、神さまを愛すること、隣人を愛すること、その2つの愛の間に自分を愛するこがあるからです。
  
「3つの窓」  詩人:安積得也(あずみとくや)作
 窓をたたく音がする 浅い自分を蹴飛ばして 窓を開こう
  深く深く底窓(そこまど)を開いて 新しい自分を見つけ出そう
 窓をたたく音がする 狭い自分を蹴飛ばして 窓を開こう
  広く広く横窓(よこまど)を開いて 世界の人たちとあいさつをかわそう
 窓をたたく音がする 狭い自分を蹴飛ばして 窓を開こう
  高く高く天窓(てんまど)を開けて 大いなるものと対話しよう
 
 安積さんの言う「3つの窓」とは、「底窓」、「横窓」、「天窓」の3つです。底窓は自分自身に向かう心の窓、「横窓」は隣人や世界に向かう心の窓、「天窓」は大いなるもの即ち神さまに向かう心の窓のことであると思います。
「この3つの窓」は、本日のイエスさまの御言葉と順序は、違っていますが通じるものがあるように思います。

「見よ、わたしは戸口に立って、叩いている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(ヨハネの黙示録3:20)

 神さまの愛の完成者イエス・キリストを心の戸を開いてお迎えいたしましょう。

関連記事

PAGE TOP