深谷教会「小羊の会」2023年10月19日(木)
★法亢聖親牧師からのメッセージ
信仰告白(日本基督教団信仰告白)14 マタイ28章19節、20節
使徒信条の成り立ち
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19,20)
私たちの教団の信仰告白は「我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白す。」と信仰告白をしています。使徒信条は「代々の聖徒と共に」とありますように本当に古いものです。現在の文章は紀元8世紀のものですが、現在の形になるはるか以前に原型となる信条が存在していたのです。それは2世紀後半にあった「ローマ信条」です。「我は全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊と処女マリヤとにより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ葬られ3日目に死人の中より甦り、天に昇り、父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる教会、罪の赦し、身体のよみがえりを信ず。アーメン」(ローマ信条)
このローマ信条は、教会が作った最古の信条で、これに多少の言葉を付け加えてできた
ものが使徒信条と言うわけです。どうしてこのような信条ができたのでしょうか。
洗礼を受けて教会に加入しよう(主の体なる教会の枝となろう)とする人々=受洗志願者のために信ずべき事柄を簡潔に文章化したものが求められたからです。今日でもこの事情は変わらず受洗志願者は使徒信条を学ぶ教会が多いいようです。
異端的な教えに対して正しい、基準的な教えを明らかにする必要があったからです。
古代教会を悩ませるものに「イエス・キリストは人間のように見えたに過ぎないとする仮現節」がありましたが、使徒信条はこの点を「苦しみを受け」「死にて」「陰府にくだり」といった言葉を付してキリストの人間性を明らかにしています。
「使徒」信条と言われるのは、これが12使徒によって作られたとする言い伝えに基ずくものですが、そうでなくとも使徒たちが宣ベ伝えたことと深く関係していることは明らかです。使徒たちは、父と子と聖霊なる神を伝えたのですから(マタイ28:19)。
使徒信条の最初の言葉がラテン語でクレドー(我信ず)とあるところからクレドーといったりします。クレドーは世界的信条、基本信条と言われ、カトリックもプロテスタントも大事にしています。(もしクレドーを告白しない教会・教派があれば注意した方がよいと思います。)