「慰めも主によって」Ⅱコリント1:3~11

深谷教会降誕節第2主日礼拝ー新年礼拝ー2026年1月4日
司会:野田治三郎兄
聖書:コリント人への第二の手紙1章3~11節
説教:「慰めも主によって」
  佐藤嘉哉牧師
讃美歌:21-516,248
奏楽:杉田裕恵姉

    説教題:「慰めも主によって」 コリント人への第二の手紙1:3~11 佐藤嘉哉牧師

 2026年の最初の礼拝にこうして集まれたことを心から感謝します。この新しい年が始まる今、私たちはこれまでの歩みを振り返りながら、前を向いて進む力を求めているのではないでしょうか。昨年もさまざまな試練がありましたが、神はいつも私たちを支えてくださっています。今朝の聖書箇所はコリント人への第二の手紙1章3節から11節です。題を「慰めも主によって」としました。この言葉は、パウロが経験した深い苦しみの中で見出した希望を表しています。新年にふさわしく、励ましと支えを感じられるようにお話ししていきたいと思います。
 パウロはこの手紙で神を「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみの父、すべての慰めの神」と賛美しています。神は、私たちがどんな苦しみに遭っても、優しく寄り添ってくださる方です。苦難の中でこそ、神の慰めが与えられる。それは、ただ自分だけが安心を得るためではなく、他の人々を支える力となるのです。パウロはこう記しています。「わたしたちがすべての患難の中で慰めを与えてくださる方、すなわち、わたしたちが神から受ける慰めによって、すべての患難の中にある人々を慰めうる者となさる方である」。ここに神の計画が見えます。私たちの体験は孤立したものではなく、周囲の人に広がる恵みにつながるのです。
 考えてみてください。パウロはアジアで大変な苦しみを味わいました。力に余る重荷を負い、生きる望みさえ失うほどでした。しかし、そんな中で彼は自分自身に死刑の判決を受けた思いになったと言います。それは死人をよみがえらせる神を頼るためだったのです。神はパウロを大きな死の危険から救い出してくださいました。そして今も救ってくださる、と彼は確信しています。この体験はパウロ一人のものにとどまりませんでした。コリントの教会の人々にも共有され、彼らの励ましとなったのです。苦しみが満ちあふれるように、慰めもキリストによって満ちあふれている、とパウロは強調します。
 私たちも同じような状況にあるのではないでしょうか。昨年を思い起こせば、病気の心配や家族の悩み、仕事のプレッシャーなど、さまざまな試練がありました。新年を迎えてもそれらが一気に消えるわけではありません。しかし、パウロの言葉は私たちに希望を与えます。神の慰めは私たちの内側だけで完結するものではないのです。むしろそれを外に向けることで、真の支えが生まれます。自分が満たされていればそれで十分だ、と思うのは簡単です。しかし、神は私たちを他者のために用いてくださいます。隣の人に目を向け、愛を持って関わること。それが慰めの連鎖を広げる鍵です。
 例えば、日常の中で考えてみましょう。教会の誰かが悩みを抱えている時、私たちはどう応じますか。自分の苦しみを思い出し、神から受けた支えを分かち合うことでその人を励ますことができるのです。パウロはコリントの教会にこう伝えています。「わたしたちが患難を受けるのは、あなたがたの慰めと救いのためである」。私たちの苦しみは、無駄なものではありません。他の人々の救いにつながるのです。深谷教会として、この新年に互いに支え合う姿勢を強めていきましょう。内側に閉じこもらず、外に向かって手を差し伸べる。それが神の慰めを活かす道です。さらに、パウロは祈りの重要性を語っています。「あなたがたも祈りによって助けてくれるならば、多くの人々の祈りによってわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるであろう」。祈りは、一人でするものではなく、共同体で分かち合うものです。深谷教会の皆さんが祈り合うことで、神の恵みが広がります。新年のはじめに、私たちはこのことを心に留めましょう。苦しみの中でも神を信頼し、他者を思いやる心を養うのです。
 この箇所を読みながら、私はパウロの生き方を思い浮かべます。彼は迫害や投獄を繰り返しながらも、決して諦めませんでした。むしろそんな中で手紙を書き、遠くの教会を励ましたのです。それはキリストの苦難を共有し、慰めを分かち合う生き方でした。私たちも群れの一員として、同じ精神を受け継ぎましょう。2026年はきっと新しい挑戦があるでしょう。しかし、神の慰めが私たちを強くします。そしてそれを隣人に届けることで、教会全体が輝くのです。皆さん、神の慰めは静かに与えられるものです。時には、友人からの一言や祈りの時間に感じる平安として現れます。パウロのように、私たちもその慰めを大切にし、他者に伝える者となりましょう。新年にあたりこの決意を新たにします。内向きの満足に留まらず、愛を持って周囲に接する。それが真の喜びを生むのです。
 ここで少し深く考えてみましょう。パウロの言葉は、苦しみと慰めのバランスを教えてくれます。キリストの苦難が私たちに及ぶように、慰めも豊かに与えられるのです。これは人生の現実を認めつつ、希望を失わない姿勢です。私たちは一人ではありません。神がいつも共にいてくださいます。そして互いの存在が支えとなります。新年をスタートする今、この真理を胸にとどめることが大切だと思います。
さらに隣人愛の実践について触れます。自分が苦しんでいる時、他者を思うのは難しいかもしれません。しかし、パウロはそんな中でこそ、慰めが他者に流れると言います。深谷教会として、近所の人々や地域社会に目を向けましょう。例えば、孤独を感じている高齢者の方に声をかける、困っている家族を支援する。そんな小さな行動が神の愛を伝えます。自分が満たされていればいいという考えを捨て、積極的に関わる心を持ちましょう。それが教会の使命です。パウロの体験は私たちに勇気を与えます。彼はアジアでの患難を振り返りながら、神への信頼を語っています。私たちも過去の苦しみを思い出し、神の救いが与えられたことを感謝しましょう。そしてそれを未来への力に変えるのです。新年は、そんな転換の時です。神の慰めを受け取り、他者に届ける一年となりますように。
 この聖書の教えにまつわる一つのエピソードを紹介します。ホレイショ・スパフォードは、19世紀アメリカの弁護士です。彼は事業の失敗と、海難事故で四人の娘を失うという大きな悲しみを経験しました。そんな絶望の中で、彼は船で事故現場を通過する時に、賛美歌「我が魂は安し」の歌詞を書きました。「どんなことが起ころうとも、我が魂は安し」と歌うこの賛美歌は、スパフォードの深い信仰から生まれ、世界中の人々に慰めを与え続けています。彼の人生は、苦難の中で神の慰めを見出し、それを他者に分かち合う大切さを示しています。
また、キリスト教の詩として、賛美歌「神はわが砦」を思い浮かべます。マルティン・ルターが作ったこの歌は、苦難の中での神の支えを歌っています。「神はわがやぐら、力のとりでなり、われを助くる確かなる武器なり」。この言葉は、パウロの慰めの神を思い起こさせるのです。
2026年を神の慰めとともに歩みましょう。互いに支え合い、隣人に愛を届ける一年にします。神の祝福が豊かにありますように。

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