「喜びと希望は小さな馬小屋から」ルカによる福音書2:1~20

深谷教会クリスマス礼拝(降誕日礼拝)2025年12月21日
司会:高橋和子姉
聖書:ルカによる福音書2章1~20節
説教:「喜びと希望は小さな馬小屋から」
  佐藤嘉哉牧師
讃美歌:21-267,258
奏楽:小野千恵子姉

   説教題:「喜びと希望は小さな馬小屋から」 ルカ福音書:2:1~20  佐藤嘉哉牧師

 みなさん、クリスマスの喜びの朝を迎えました。この特別な日に、私たちはイエス・キリストの誕生の物語に心を向けます。今日は、「喜びと希望は小さな馬小屋から」という題で、神が私たちに示してくださったこの出来事の深い意味を一緒に味わいましょう。
 本日の聖書箇所は、ローマ皇帝アウグストの勅令から始まります。全世界の人口調査が行われ、多くの人々が故郷へと移動を強いられました。ヨセフとマリヤも、ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムへと長い旅を続けます。マリヤはすでに身重の体でした。到着したベツレヘムは人で溢れ、宿屋には空きがなく、二人は動物のいる馬小屋に身を寄せました。そこでマリヤは初子を産み、布にくるんで飼葉おけに寝かせたのです。私たちはしばしば、この馬小屋を「貧しく惨めな場所」と捉えがちです。しかし、当時の人々にとって馬小屋は決して異様な場所ではありませんでした。家畜を飼い、夜を過ごすためにどこにでもあった、ごくありふれた場所です。旅人たちが疲れた体を休め、動物たちが餌を食べ、家族が一緒に眠る、そんな日常のすぐそばにあった空間でした。そこは、底辺の者だけがいる特別な場所ではなく、誰もが知っている、誰もが通るような場所だったのです。ただ、当時のユダヤの人々は旅人を家へ招いたり宿に泊まらせたりすることで「隣人愛」を示すことと考えていたため、その招くこともできないほどの混乱があったことが伺えます。まるでオーバーツーリズムのようですね。そうした社会的な混乱、他者を思いやる隣人愛すら示すことのできないほどの状況の中で、主イエスは生まれたわけです。
 神の御子がわざわざこの馬小屋に生まれたという事実は、驚くべきメッセージです。神は遠く高い天から私たちを見下ろすのではなく、私たちと同じ目線まで降りてきてくださいました。華やかな宮殿でも、立派な神殿でもなく、日常のただ中にあるありふれた馬小屋に、イエスは来られました。それは、神が私たちの生活の現実の中に入り込んでくださったということです。私たちの喜びも悲しみも、疲れも痛みも、すべてを知り、すべてを分かち合うために、神の子は私たちと同じ地面に足を踏み入れたのです。
 天使が羊飼いたちに告げた言葉を思い起こします。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。この方こそ主なるキリストである」。羊飼いたちは夜の野原で羊を見守る、ごく普通の労働者でした。彼らは特別に貧しいわけではなく、当時の多くの人々と同じように働いて生きていました。そんな彼らに最初に知らせが届いたのも、神が私たちと同じ高さに降りてきてくださったしるしです。救い主は、遠くの誰かではなく、私たちのすぐ隣にいる方として生まれたのです。この出来事こそが、クリスマスの本当の喜びであり希望です。イエスが馬小屋から始まったということは、神の愛が私たちの日常に深く根を張っているということです。私たちの生活には、華やかさのない瞬間がたくさんあります。忙しさの中で疲れ果てるとき、家族と一緒に過ごす平凡な夜、仕事に追われる朝、そんなありふれた場面にこそ、神は共にいてくださる。イエスが私たちと同じ目線で生まれてくださったからこそ、私たちはどんなときも一人ではないと知ることができます。
 歴史を振り返ると、このメッセージに心を動かされた人がいます。アッシジのフランチェスコです。13世紀のイタリアで、彼は裕福な家に生まれましたが、神の呼びかけに従ってすべてを捨て、貧しい人々と共に生きる道を選びました。1223年のクリスマス、フランシスはグレッチョの村で、実際の動物や干し草、飼葉おけを用意して、イエスの誕生の場面を再現しました。村人たちは目の前で馬小屋の光景を見て、心を打たれました。フランシスは言いました。「私は人々に、神がどれほど私たちと同じところまで降りてきてくださったかを、言葉ではなく目で見せたい」。この出来事が、今日の世界中で飾られるクリスマスの馬小屋の始まりとなりました。彼は、神が私たちの日常のただ中に来てくださったことを、誰よりも深く感じ取り、体全体で表現した人でした。
 また、詩人フィリップス・ブルックスは、19世紀にこんな賛美歌を書いています。
「小さな町ベツレヘムよ おまえはなんと静かか
しかしおまえの暗い街路に 永遠の光が昇る
聖なる子は静かに おまえのうちに眠る
世界の希望はそこに 今も変わらず宿る」この詩は、小さな町のありふれた場所に、神の光が静かに訪れたことを歌っています。特別な場所ではなく、誰もが知っているような場所に、救いがやってきたのです。
 今、私たちにとってこのクリスマスはどんな意味を持つでしょうか。私たちは華やかな飾りつけや賑やかな集まりに目を奪われがちですが、本当のクリスマスはもっと身近なところにあります。イエスが私たちと同じ目線まで降りてきてくださったことで、私たちは神を遠い存在ではなく、すぐそばにいる友として感じることができます。日常の喜びも苦しみも、神はすべてをご存じです。そして、そのすべてを包み込んでくださる。
 羊飼いたちはベツレヘムへ急ぎ、幼子を見て、神を賛美しながら帰っていきました。彼らは特別な人々ではなく、普通に生きていた人々でした。私たちも同じです。このクリスマスの朝に、心を静めてイエスの誕生を思いましょう。神がどれほど近くまで来てくださったか。私たちの日常のただ中、私たちと同じ目線で共にいてくださるか。
 小さな馬小屋から始まった光は、今も私たちの生活を照らしています。その光は決して遠くにあるものではなく、すぐそばで輝いています。なぜなら、神の愛は私たちと同じ高さまで降りてきてくださったからです。
 このクリスマスに、私たち一人ひとりがその愛を受け取り、周りの人々に届けていく者となりましょう。喜びと希望は、いつも私たちの日常のただ中から、ありふれた馬小屋から始まるのです。神がそこにいてくださるからです。メリー・クリスマス。主が私たちと同じ目線で共におられることを、心から喜びましょう。

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