深谷教会聖霊降臨節第6主日礼拝2025年7月13日
司会:佐藤牧師
聖書:使徒行伝4章32~37節
説教:「主による交わり」
佐藤嘉哉牧師
讃美歌:21-289,361
奏楽:小野千恵子姉
説教題:「主による交わり」 使徒行伝4:32~37 佐藤嘉哉牧師
今日私たちは使徒行伝4章32節から37節に耳を傾け、主イエスがもたらした交わりの美しさと、その交わりが初代教会においてどのように具体的に現れたかを共に考えたいと思います。本日の聖書箇所は、聖霊によって一つとされた初代教会の姿を鮮やかに描き出し、主イエス・キリストの福音が人々の心と生活をどのように変えたかを示しています。主イエスの教えと使徒たちの働きを通して、神の愛と恵みがどのように実を結んだのか、その核心に迫りましょう。
使徒行伝4章32節にはこうあります。「信じた者の群れは心と魂を一つにして、だれ一人、自分の持ち物を自分のものだと主張する者はなく、すべてを共有していた。」この言葉は、初代教会の信徒たちが主イエスにあって結ばれた交わりの深さを表しています。彼らはただ集まっていただけでなく、心と魂が一つでした。これは、単なる人間的な一致や友情を超えた、神の霊による一致です。主イエスが十字架で成し遂げられた贖いと復活の力によって、彼らの心は変えられ、互いに対する愛と信頼が生まれていました。この一致は、主イエスがヨハネの福音書で祈られた「彼らが一つとなるように」(ヨハネ17:21)を具体的に実現するものでした。しかし、この一致は自然に生まれたものではありません。主イエスの福音を受け入れ、聖霊に導かれた結果として生まれたのです。
この一致の具体的な現れとして、彼らは「自分の持ち物を自分のものだと主張する者はいなかった」とあります。現代の私たちには、この言葉は驚くべきものかもしれません。自分の所有物を手放し、すべてを共有するとは、どれほどの信頼と愛が必要でしょうか。しかし、初代教会の信徒たちにとって、これは主イエスに従うことの自然な結果でした。主イエスは、富や所有物に執着するのではなく、神の国を第一に求めることを教えておられました。彼の教えに従い、信徒たちは互いの必要を顧み、持っているものを喜んで分かち合ったのです。この共有は、強制されたものではなく、心からの応答でした。主イエスが彼らの心を一つに結び、互いを愛するように導かれたからこそ、このような交わりが可能となったのです。
33節には、「使徒たちは、主イエスの復活について力強く証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった」と記されています。使徒たちの働きの中心は、主イエス・キリストの復活の証しでした。彼らは、主イエスが死からよみがえられたことを大胆に宣べ伝えました。この復活の福音こそが、初代教会の交わりの土台であり、信徒たちの一致と愛の源でした。復活は、ただの出来事ではなく、神の力と愛の勝利を示すものでした。使徒たちは、この復活の力を人々に伝え、聞く者たちの心に希望と信仰を植え付けました。しかし、彼らの証しは単なる言葉にとどまりませんでした。聖霊の力によって、彼らの言葉には権威があり、聞く者の心を動かし、悔い改めへと導いたのです。この「大きな恵み」とは、神の愛と赦しが豊かに注がれ、信徒たちが互いに愛し合う力となったことを意味します。
この恵みは、信徒たちの生活の中で具体的に現れました。34節から35節には、「彼らの中に乏しい人は一人もいなかった。土地や家を持っている者がそれを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、それが各自の必要に応じて分け与えられたからである」とあります。この記述は、初代教会の交わりが単なる精神的な一致にとどまらず、実際の行動として現れたことを示しています。彼らは、互いの必要を見過ごさず、具体的に助け合いました。土地や家を売るという行為は、現代の私たちには極端に思えるかもしれません。しかし、彼らにとって、これは主イエスの教えを実践する自然な応答でした。主イエスは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と教えておられました。この愛は、言葉や感情だけでなく、具体的な行動として現れるものでした。信徒たちは、自分の財産を犠牲にしてでも、兄弟姉妹の必要を満たすことを選びました。これは、主イエスがご自身の命を十字架でささげられた愛に倣うものでした。
この箇所で特に注目すべきは、こうした行動が強制や義務感からではなく、喜びと自由な心から行われたことです。使徒たちの足もとに代金を置く行為は、彼らが神の御業に信頼し、使徒たちの指導のもとで神の国を築くことに参与していたことを示します。使徒たちは、これらの贈り物を公平に分配し、誰もが神の愛と恵みを体験できるようにしました。このような交わりは、主イエスが弟子たちに示された模範、すなわち「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)という命令を具体化したものでした。主イエスの愛は、自己中心的な生き方を打ち砕き、互いを与え合う交わりを生み出したのです。
36節から37節では、具体的な例としてバルナバが紹介されています。「たとえば、キプロス生まれのレビ人で、使徒たちからバルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフは、自分の所有する畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」バルナバの行動は、初代教会の交わりの精神を象徴しています。彼は、自分の財産を惜しみなくささげ、教会の必要のために用いました。バルナバの名は「慰めの子」という意味ですが、これは彼の性格と行動をよく表しています。彼は後に、パウロやマルコを励まし、教会の働きを支える重要な人物となりますが、ここでは彼のささげものが、教会の一致と愛を強める一つの模範として記されています。バルナバの行動は、主イエスの教えに根ざし、聖霊によって導かれたものでした。彼は、自分の所有物を神の国のために用いることで、主イエスへの信頼と愛を示したのです。
このバルナバの例は、私たちに重要な問いを投げかけます。私たちは、どの程度、自分の持っているものを主イエスのために、教会の交わりのために用いているでしょうか。初代教会の信徒たちは、物質的なものを共有することで、互いの必要を満たし、神の愛を具体的に示しました。しかし、今日の私たちにとって、交わりは物質的なものだけに限定されません。時間、才能、祈り、励ましの言葉など、私たちが持つすべてのものを、主イエスのために用いることができます。バルナバのように、私たちも自分の持つものを喜んでささげ、教会の交わりを築くために参与することができるのです。
この聖書の箇所から、私たちは主イエスがもたらす交わりの本質を学びます。それは、心と魂が一つとされ、互いに愛し合い、必要を顧みる交わりです。この交わりは、使徒たちの復活の証しと聖霊の働きによって支えられていました。主イエスの福音は、単に個人の救いにとどまらず、共同体としての教会を築き上げます。初代教会の信徒たちは、主イエスの教えに従い、互いに与え合い、支え合うことで、神の国をこの地上に現しました。彼らの行動は、私たちに、主イエスに従うことの具体的な意味を教えてくれます。
皆さん、私たちはこの交わりに招かれています。主イエスは、私たち一人一人を愛し、十字架で命をささげてくださいました。その愛に応えるとき、私たちの心は変えられ、互いに愛し合う交わりが生まれます。しかし、この交わりは、私たちが自分の力だけで築けるものではありません。聖霊の導きと、主イエスの復活の力によってのみ可能となります。だからこそ、私たちは日々、主イエスに信頼し、聖霊に導かれて歩む必要があります。使徒たちの証しに耳を傾け、彼らの模範に倣い、バルナバのように喜んでささげる者となりましょう。
最後に、使徒行伝4章32節から37節は、単なる歴史的な記録ではありません。これは、主イエス・キリストが今日の私たちにもたらす交わりの姿です。私たちが主イエスの愛に根ざし、聖霊によって一つとされるなら、私たちの教会もまた、このような愛と一致の交わりを体験することができるでしょう。皆さん、主イエスに信頼し、互いに愛し合い、神の国を共に築き上げるために歩みましょう。主イエスの恵みと平安が、皆さんの上に豊かにありますように。