「ただひたすら前へ」ピリピ人への手紙2:12~18

深谷教会聖霊降臨節第4主日礼拝2025年6月29日
司会:佐藤牧師
聖書:ピリピ人への手紙2章12~18節
説教:「ただひたすら前へ」
   佐藤嘉哉牧師
讃美歌:21-390,403
奏楽:落合真理子姉

   説教題:「ただひたすら前へ」 ピリピ人への手紙2:12-18 佐藤嘉哉牧師

 ピリピ人への手紙2章12節から18節の御言葉は、私たちに神の救いの道をただひたすらに進む勇気と力を与えます。この手紙は使徒パウロが牢獄からピリピの教会に書き送ったものです。彼は自らの苦難の中にあっても、キリストの福音を宣べ伝え、信じる者たちを励まし続けました。パウロの言葉は、まるで燃える火のように私たちの心を照らし、どんな試練の中でも神の栄光を目指して前へ進む信仰の歩みを促します。今日私たちはこの御言葉を通して神の力に支えられ、ただひたすら前へ進む勇気を学び、キリストの道を歩む決意を新たにしましょう。
「愛する者たちよ。あなたがたはいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、なおさら今わたしがいない時には、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)。パウロはこの言葉で、ピリピの信徒たちに救いの道を真剣に歩み続けるよう呼びかけます。彼はピリピの教会がこれまで従順に信仰の道を歩んできたことを認めつつ、さらに一歩進んで、恐れとおののきをもって救いの完成を目指すよう促しています。この「恐れとおののき」とは、軽はずみな態度や自己満足に陥ることなく、神の聖なる御前での真剣な姿勢を意味します。私たちの救いはキリストの十字架によってすでに与えられた恵みです。しかしこの救いを日々の生活の中で実現し、完成へと向かう歩みを続ける責任が私たちにはあります。パウロはただ立ち止まることなく、ひたすら前へ進むことを求めています。神の御前に真剣に生きる者は怠惰や妥協に流されることなく、救いの目標に向かって一歩一歩進むのです。この歩みは決して簡単ではありません。しかし神の御言葉に従う者は、どんな困難の中でも前へ進む力を与えられるのです。
 続く13節でパウロはこう語ります。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつその業を行わせるのは神である。」この言葉は私たちの信仰の歩みの力の源が神ご自身であることをはっきりと示しています。私たちが救いの道を進むことができるのは、自分の力や知恵によるのではありません。神が私たちの心に聖なる願いを起こし、その願いを実現する力を与えてくださるのです。この真理は私たちに深い平安と確信を与えます。信仰の歩みは、私たちの努力だけに頼るものではありません。神の聖霊が私たちを内側から動かし、導き、支えてくださいます。パウロはピリピの信徒たちがこの神の働きに信頼し、どんな状況でも前へ進む勇気を持つことを願っています。私たちもまた、神の力が共にあることを信じ、ただひたすら前へ進むことができるのです。神の御手が私たちを支えるからこそ、試練や誘惑の中でも倒れることなく、救いの道を歩み続けることができるのです。
 パウロはさらに14節から15節でこう続けます。「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な世代の中で、傷のない神の子として、世にあって星のように輝くためである。」ここでパウロは信仰の歩みにおける態度を具体的に教えています。つぶやきや疑いは、私たちの心を神から遠ざけ、歩みを停滞させます。試練に直面したとき私たちは不平をこぼしたり、神の導きを疑ったりしがちです。しかし神の民として生きる者はどのような状況でも不平を言わず、疑いの心を持たず、ただ神に信頼して進むのです。この世は曲がり、邪悪なものに満ちています。その中で私たちは神の子として純真に生き、世の闇の中で星のように輝くよう召されています。この輝きは私たちの行いや態度を通して現れます。神の愛と真理を映し出す生活は周囲に神の栄光を証しするのです。パウロは私たちがただひたすら神の道を歩むことで、世に光をもたらす存在となるよう励ましています。この呼びかけは、私たちに神の御前での清い生活を求め、どんな試練の中でも神の栄光を反映する者となるよう促します。
 16節でパウロはこう語ります。「いのちの言葉を堅く持して、キリストの日に、わたしがむだに走らず、むだに労苦しなかったことを、誇ることができるためである。」ここでいう「いのちの言葉」とは、キリストの福音そのものです。この福音は私たちに永遠の命を与え、神の国へと導く力を持っています。パウロはピリピの信徒たちがこの福音を堅く持ち続け、どんな試練の中でもそれを離さないことを願っています。福音を堅く持つ者は世の誘惑や困難に打ち勝ち、救いの道を確実に歩むことができます。パウロにとってピリピの教会が福音に忠実に生きることは、彼の働きの成果であり最大の喜びです。彼はキリストの再臨の日に、彼の労苦が無駄でなかったことを誇りとしたいと願っています。私たちもまた福音を心に刻み、どんな状況でもそれを握りしめる信仰を持つよう召されています。この希望が私たちにただひたすら前へ進む力を与えます。福音を堅く持つ者はキリストの日に神の御前に立つことができるのです。この確信が私たちを力づけ、どんな試練の中でも神の道を歩み続ける勇気を与えます。
 17節と18節でパウロはさらに深い喜びを語ります。「たとい、わたしがあなたがたの信仰の供え物と儀式の上に、注ぎものとして自分の血をささげるとしても、わたしは喜ぶ。また、あなたがた一同と一緒に喜ぶ。あなたがたも同じように喜びなさい。そして、わたしと一緒に喜びなさい。」ここでパウロは殉教の可能性を念頭に置きながらも、そのような犠牲さえも喜びであると語ります。彼の人生はキリストのために捧げられた供え物です。しかし、彼はそのことを悲しむのではなく喜びとしています。なぜなら、彼の奉仕はピリピの信徒たちの信仰を強め、神の栄光を高めるものだからです。パウロはピリピの教会と共にこの喜びを分かち合うことを願っています。私たちもまたキリストのために生き、キリストのために犠牲を払うとき、真の喜びを見いだすのです。神の道をただひたすら進む者はどんな苦難の中でも喜びを見いだすことができます。なぜなら、その歩みは神の御心に適うものだからです。パウロのこの喜びはキリストに結ばれた者の喜びであり、どんな試練も超える力を持っています。私たちもまたこの喜びにあずかり、キリストのために生きる者となるよう召されています。
 この御言葉全体を通して、パウロは私たちに神の力によってただひたすら前へ進む勇気を教えています。私たちの救いの道はキリストの十字架によって開かれました。しかしその道を歩み続けるためには、神の力に信頼し、福音を堅く持つ信仰が必要です。世の闇や試練が私たちを押しとどめようとします。しかし神が私たちの心に願いを起こし、その業を行わせてくださいます。私たちはつぶやかず、疑わず、神の子として純真に生き、世に光を放つ者となるよう召されています。この歩みはキリストの日に完成する希望に支えられています。パウロのように私たちもキリストのために生き、キリストのために喜びを見いだすことができます。
 このピリピ人への手紙の言葉は、私たちに神の御前に真剣に生きる姿勢を求めます。パウロは牢獄という厳しい環境の中にあっても、福音を宣べ伝え、教会を励ますことに全力を尽くしました。キリストに仕えるための完全な献身の模範です。私たちもまた、どんな状況にあっても、神の御言葉に信頼し、前へ進む信仰を持つよう召されています。神の力が私たちを支え、聖霊が私たちを導きます。この確信が、私たちに試練を乗り越える力を与えます。私たちは、ただひたすら神の栄光を目指して進むのです。その歩みの中で、神は私たちに力を与え、道を示し、喜びを満たしてくださいます。
 今日から私たちはこの御言葉に励まされ、ただひたすら前へ進む信仰の歩みを新たにしましょう。神の力が共にあることを信じ、福音を堅く持つ者として、どんな試練の中でも恐れず進みましょう。世の闇の中で星のように輝き、キリストの愛を証しする者となりましょう。神の栄光を目指して、ただひたすら前へ進むのです。その歩みの中で、神は私たちを支え、導き、喜びを与えてくださいます。

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