「くさりを解いて下さるイエス」 マルコによる福音書11:1~11

深谷教会棕櫚の主日礼拝2024年3月24日
司会:斎藤綾子姉
聖書:マルコによる福音書11章1~11節
説教:「くさりを解いて下さるイエス」
   法亢聖親牧師
讃美歌:21-303
奏楽:野田治三郎兄

説教題 「くさりを解いて下さるイエス」    マルコ11章1節~11節
       
 本日は、棕櫚(しゅろ)の主日で、今日より受難週がスタートします。主イエスのエルサレム入城の記事は、3つの福音書に記されていますが、マルコ福音書とルカ福音書は、マタイ福音書と違い旧約聖書の預言の成就と言うことには触れずにただ淡々と出来事を記しています。主イエスは、十字架につかれるため最後のエルサレム入城をされるのにロバの子に乗られました。そのロバの子はベタニアの村へ弟子たちを遣わして調達したものと思われます。ベタニアとは、「悩む者の家」「貧しい者の家」という意味のある名前です。おそらくエルサレムにおいて汚れた者として追いやられていた病人や寄留していた異邦人(外国人)、また不浄と言われていた仕事をしていた人々が住んでいた村であったと思われます。重い皮膚病を主イエスに癒していただいたシモンの家もこの村にありました。ローマの軍事力を後ろ盾に、律法を拡大解釈してイスラエルの民を縛り付け、それでいて神の御心に適うことをしていると信じ込んでいたエルサレムの支配者たちの教えやそれを基盤とする社会構造によって人間の尊厳を軽んじられ、傷つけられ、貧しさを強いられていた(小さくされていた)人々が住んでいた村です。
 主イエスが育たたれ、福音の宣教活動を主にしておられたガリラヤ地方は、暗黒の世界に住む人々と聖書が呼んでいるように、田畑を耕す小作人やブドウ園で雇われて働く人々そしてガリラヤ湖の漁師など貧しい人々が住む地域でした。ですからベタニアの人々は、自分たちと同じ貧しいガリラヤの人々に人間の尊厳と貧しさからの回復を告げ広め、ユダヤの民を縛り付けている社会構造を批判し、時には批判ばかりではなく実力行使をされた主イエスを心から受け入れていたと思います。主イエスは、貧しい者や病める者そして悩み苦しむ者のために宣教されていましたから、「イエスがお入り用なのです」と弟子たちが言ったなら喜んでベタニアの村の人たちが子ロバを貸してくれたと推測することは難くないと思います。
 それでは、主イエスは、なぜベタニアから子ロバを連れてこさせてそれに乗り、エルサレムに入城されたのでしょうか。その答えは、「まだだれも乗ったことのない子ロバのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。」(マルコ11:2)という主イエスのご命令の中にあると思います。旧約聖書の律法では、子ロバは、神さまへの捧げものにすることはできないと規定されていました。つまり、神さまからよしとされない存在と見なされていたのです。そして、ここで「つないである」と訳されている「つなぐ」と言う言葉は、ユダヤ教におけるラビ的表現として用いられる時には「律法において縛られている、禁じられている」との宣言をすることを意味しています。同様に「ほどいて」と訳されている「ほどく」と言う言葉は、「赦されている」と宣言することを意味します。
 これらのことを考え合わせると、主イエスは、ベタニアの人々の姿を子ロバに重ね合わせていたように思います。律法により縛りつけられ、人間の尊厳を傷つけられていたベタニアの人々を鎖から解き放つため、その涙と憤りを自分自身のものとしてエルサレムへと携えて行こうとする主イエスのご意志を見ることができるのではなでしょうか。
 主イエスは、子ロバに乗ってエルサレムに入城された時、群衆は「ホサナ」と言う歓喜の声を上げて迎えました。「ホサナ」とは、もともと「主よ、どうぞ我らをお救いください」と言う意味です。しかし、ここでは単に「万歳」という歓喜の声と受け取ることのほうがよいかと思います。ベタニアの人々の涙と憤りを携えエルサレムに入城される主イエスと主イエスを出迎える人々との思いは全く異なっていたからです。そう群衆は、主イエスの真意を理解せず自分たちの期待と幻想の中で「万歳」と主イエスを称賛していたにすぎなかったのです。ここには、主イエスに対して自分たちに都合のよい期待や幻想を抱き、主イエスのみこころに気づかないままに歓喜の声を上げている人間の姿、教会の姿を見る思いがします。エルサレムの都に入られた主イエスは、見て回った後、ベタニアへと出て行かれました。「見て回った」という言葉は、主イエスが安息日に病気の人を癒された時に、そのことの意味を理解しない人々を怒られ「見回し」そのかたくなな心を悲しまれたという場面にも使われた言葉です(マルコ3:5)。主イエスは、エルサレム神殿を見て回り、その夜ベタニアに戻られました。主イエスは、きっと会堂での出来事を思い出されエルサレム神殿も全く同じ状態であることを見てとり、涙と怒りをお感じになられたのだと思います。その思いをぶつけるべく宮清めをされたことをマルコ福音書は続けて記しています。(注:ヨハネ福音書はイエスの宣教の初めに宮清めを記しています)。
 エルサレム神殿を清められた主イエスに対して、当時の宗教的指導者たちの怒りは頂点に達しました。そして、当時の最高指導者であった大祭司たちは、イエスを亡き者にしようとし、ユダヤの民を扇動したのです。イエスは自分を神の子メシアだと言い神を冒涜し、また、ユダヤの民が待ち望んでいるようなローマからイスラエルを解放してくれる者ではないとふれ回ったのです。そこで歓喜の声で主イエスを迎えた人々は、自分たちの願いとは違う主イエスから心が離れて行ったのです。こうして主イエスは、エルサレムの宗教的指導者やローマの権力者たちによって十字架に架けられたのです。しかし、このイエスの言葉と生き方は、それでもなおガリラヤやベタニアの人々の中に生き続け、否、死んで下さった故に慰めと希望と勇気を与え、一人一人を尊厳をもった人間として立ち上がらせていったのだと思います。マルコ福音書は、主イエスが納められた墓が空であったこと、その墓で若者(天使)がマグダラのマリアたちにガリラヤで復活のイエスにお会いできることを告げたことをもって結んでいます。この一見唐突な終わり方の中に、暗黒の地貧しさと混乱と不安のうずまくガリラヤへと、また支配者から見捨てられた人々の住むベタニア、神の恵みに与かることができなくされていた人々の住むベタニアへと私たちを立ち戻らせるマルコの意図があるのです。私たちは自分の欲望や保身のため時には、思い違いの「善意」によって人を傷つけ、主イエスを裏切る愚かさを抱えています。イエスの死という出来事は、その現実を私たちに真正面から厳しく問うています。そしてガリラヤやベタニアで生きて働いておられる復活の主が、その言葉と生き方に従って生きることへと招き、やり直す生き直すチャンスを与えて下さっているのです。

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