「聖書と進化論」 創世記1:1

「小羊の会」  2023年11月9日(木)

★ 法亢聖親牧師からのメッセージ

信仰告白(日本基督教団信仰告白)17 使徒信条3         創世記1章1節     

「聖書と進化論」  創世記1章1節

 聖書の最初を開きますと「初めに、神は天と地を創造された」(創世記1:1)と記されています。以下神は6日間で天地が造られ、人間も神にかたどって創造されていく様子が記されています。しかし、こうした記述は現代の科学的な見方とぶつかることはないのでしょうか。
 19世紀にイギリスの植物学者のダーウィンは科学的な進化論を初めて発表した人物です。彼はケンブリッジ大学の神学部に学んだのですが、植物に非常に興味を持ち世界各地を探検・調査して「種の起源」を著しました。彼は、生物は自然選択(自然淘汰)により下等なものから次第に進化して来たと主張しました。このことは当時のキリスト教会からは、聖書の創造説と対立する教えとして反対されました。今日でもアメリカの州によっては、ダーウィンを学校で教えることを禁じかえって創世記を公教育の中で教えることの是非が論じられています。
 私たちはこうしたことをどのように考えたらよいのでしょうか。人間は聖書が言うように最初から人間だったのか、それとも下等なものから進化して人間になったのでしょうか。最近の研究の一つ20万年前にアフリカで生まれた新人(ホモ・サピエンス)が世界に広まったとする学説(アフリカ単一起源説)が2001年に見つかった頭がい骨から裏付けられたと報じられました。これからも人のルーツを求めて様々な探求がなされて行くことでしょう。研究は大いに結構です。ダーウィンはこう言っています「全自然界ならびに、一定の法則に従う進化は創造主の働きであり、進化の法則を通じて神は一段と光彩をそえる」。聖書は、天地も人間も神の創造されたものと見ます。創造されたものがその後、変化・進歩することがあったとしても、それもダーウィンによれば創造主の働きのうちということになります。つまり聖書の創造論とダーウィンの進化論は相対するものではないのだと思います。
 私は進化論を頭から否定しません。しかし進化論をふりかざして神とその創造の業を否定する考えには反対です。そうすることは、ダーウィンの意図するところではないからです。
 聖書は万物の生成過程の科学的記述と言うより、人間を含めた万物は神によって存在を得、神の栄光を現わすために造られたことを物語っているのです。

ps ネアンデルタール人(旧人)とホモ・サピエンス(新人)・クロマニョン人。

           

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