「老いはすべてを手放す準備期間」 ピリピ3:21

「清書の学びの会」     2023年11月15日(水)

★法亢聖親牧師からのメッセージ

 天国で神さまに会う前に済ませておくとよい8つのこと

第3章ー解放 「老いはすべてを手放す準備期間」

「彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じからだに変えてくださるであろう。」(ピリピ3章21節)
1 「欲」がなくなり「協力」が残る             
 すべてを任せるとは、自分が握りしめていたものを手放すことです。溺れる人を助ける時、溺れている人がしがみついて来たのでは、助ける人も共に溺れてしまいます。本当に助けてもらいたいなら、助けてくれる人にすべてをゆだねる(身を任せる)ことです。人生も同じで、高齢期には、溺れている人が助けに来た人に身を委ねるように、これまでしがみついてきたものを手放すことが必要です。実は、老いて大成する秘訣は、「まかせること」「手放すこと」にあります。「何が何でも手放さないぞ」と抱え込んでいたものを手放すとき、人は自由になり解放されるのです。そうなってこそ頂上をめざす道に勧めるのです。先に学びましたように、エベレストのような高い山の山頂を目指す人は、山頂を目前に控え最期のベースキャンプを張ります。そこで今まで持ってきたものをみな置いて(テントや食料やそのほかの器財など)、命綱やピッケルそして酸素ボンベなど必要不可欠なものだけをもって山頂にアタックするのです。人生の中には、さまざまな重荷があります。その中でも大きな重荷、人間関係があります。長い人生の中で義理で付き合わなければならい人も多くあります。しかし、老いていくと利害関係が少なくなり、もう気を遣って義理で付き合う人は不要となります。そのように人間関係のしがらみを少しずつ払いのけていくと、本当に気楽になります。また、さまざまなしがらみから解放されると、変な欲もなくなります。もう世での評価は意味を持ちません。そのようなもので誇る必要はありません。すでに実は結びました。有名になった、ならないで気持ちが上がったり、下がったりすることもないはずです。有名な人が年を取って、「老いぼれた」と言われることはよくあります。年を重ねると昔の自分と比べられることも多くなりますが、結局みんな「老人」でしかないのです。もはや比べられることも意味がなくなります。なぜなら、どんな人生を送ってきた人も、目指すゴールは決まっているからです。あとは、アタックキャンプを出て、しっかりとした足取り(足の悪い人はしっかりとした心)で山頂を目指す道のりを進んでゆくだけです。人生の登頂では、競争はありません。お互いのこれまでの道のりを認め合い、そして、励まし合って最後の一歩一歩を踏みしめてゆくのです。これまでの競争相手だった人たちと認め合い、協力者として歩むときが「老年期」だと理解した時、山頂に登頂することが何であるかを理解する者になるのではないでしょうか。
〇 この世での評価はもう十分。変な欲は捨て去り、足取り確かに歩むだけ。
2 本当のストレスフリーに出会える
「老年期」は、マラソンで言えば、最期の1キロ、ラストスパートの時です。そこではもはやペースメーカーはいりません。残せる時をマイペースで進むだけです。人生で言えば、時間管理もスケジュール(計画)も必要ないということです。高齢期に入りますと、周りの人がデイケア―に行きましょうとか、病院に診察(薬をもらい)に行きましょうと言った具合に時間を管理してくれたり、連れて行ってくれたり、また迎えに来てくれます。スケジュールも周りの人が健康状態に合わせて決めてくれます。しかもそのスケジュール通りしなくても良いのです。体調が悪ければ休んでもいいのですし、嫌ならイヤと言えばほかの方法を考えてくれるのです。つまり、高齢期を迎えると、周りの人がすべて、自分の側に合わせてくれるのです。ですから、周りに気を遣わず、時間も自由、スケジュールもなし、そして居眠りもOKと言うことは、“わがまま”に生きていいと言うことです。このわがままですが、周りの人(お世話をしてくれる人)にゆだねるということで、「ありがとう、ありがとう」といってそのケアーを受け入れることでもあります。(注:理不尽なこと以外。)ところが、中には、昔のことがわすれられず、キレる人もいます。心の奥底で認めて欲しい(認められていないという思いの裏返し)、自分のことは自分でできるという自信とプライドがそうさせるのかもしれません。このような問題行動を起こす老人に必要なのは、今まで語ってきたように、すべてを手放すという「解放」なのです。人は孤独を感じることで承認要求が強くなり、それが確かめられないとさらに孤独を感じます。寄り添う者として、キレやすい老人がそのような負のスパイラルに陥る前に我にかえり、怒りを行動で示さないように、愛の手を差し伸べたいものです。そうした人々と接する時心掛けたいことは、「ありがとう」と言ってあげることです。これは、魔法の言葉です。その人の承認要求を満たす最高の方法です。〇 「わがまま力」もストレスフリーの必需品。
3 過去の苦しみを否定しない。
 人は死ぬことによって、それまでの身体から解放されます。生きている人の元の肉体は、病気になることもありますし、死後朽ちてゆきます。生きている今の身体も神さまからの預かり物であり大切なものですが、だからといって執着すべきものではありません。人は、人生の肩書や功績、持ち物や人間関係から解放された後、最後に自分の体も土に帰るものだからです。聖書では、神さまを信じた人には死んだあとに復活があり、「復活の体」が与えられると教えています。「復活の体」とは、イエス・キリストが十字架で死んだ3日後に甦った時に持っておられた体と同じ、触ることもでき、食事をとることもできるからだです。ただし、朽ちない体を与えられるからといって、今の朽ちる体は悪で、そこに宿る魂だけに価値があるという事ではありません。「肉体は魂の牢獄」ではありません。確かに肉体は私たちに病気や苦しみを与え、重荷を負わせる存在かもしれませんが、それまでの人生があっての老金期であり、登頂までの道の一切合切が「天国へ続く道」なのです。誰にでも解決があり、「時すでに遅し」ということはありません。赦されるとき、すべての罪は消え、誰も責められることはなく、死後には天国が約束されているのです。
〇 過去の苦しみも含めて人生すべてが老金期の種であり、天国へと続く道をつくる要素。 
     

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