「世の中に何を残すかを決めるーパート2」 テモテⅠ4:6~8

「聖書の学びの会」      2023年11月1日(水)

★法亢聖親牧師からのメッセージ

天国で神さまに会う前に済ませておくとよい8つのこと

「世の中に何を残すか」を決めるパート2  テモテへの第2の手紙4章6~8節(p336)
8.奉仕―2
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走り尽くし、信仰を守りとおした。」(第2テモテ4:7)
1 希望と喜び、平安につながる魂の治療 
 人間の人生は、体と心と魂の健康が問われています。そのため体が病んで、心も魂も病んでいくときには、体も心も魂もケアされることが必要です。死期が近づいてきたときには、積極的な治療から末期の緩和医療への移行が必要なのです。そして、その移行は医学的、客観的な根拠を持って行われなければなりません。人体の治療に関しては、単純な根性論で「最後まであきらめない」という発想では、結果としてよい治療はできないのです。もちろん、人間の限界を踏まえた上で、最後までできる治療を精一杯行うことは大切です。けれども、「なにがなんでも最後まであきらめない」と意固地になるのではなく、よい最後を迎えるためには、適切な時期に人生のギアチェンジが必要です。つまり、治すだけの積極的治療から、今の時をよく生きるための終末期緩和医療に切り替えることです。その一方で体の積極的治療は諦めても、魂の治療は息を引き取る最後の時まで、諦めてはいけません。死期を迎える人にとって魂の治療は、悔い改めと謙遜、そして、希望、喜び、平安につながるからです。体の限界が見えてきたとき、身体の治療の一辺倒では人生の終焉(しゅうえん)に希望を見いだせません。最後の時を迎えるまでのひと時に、会いたい人に会い、悔い改め、魂を治療する時間をもってこそ、平穏な死を迎えることができるのです。

ポイント 死期が近づいてきた人には、体を治すための治療ではなく、魂を癒すことが必要である。

2「父がオリブ山病院に残した奉仕のカタチ」 
「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を折ることなく、真実をもって道を示す。」(イザヤ42:3)
今、日本の多くの病院は、「体」を治し、「心」のケアをしてくれますが、「魂」の安息までは与えてくれません。「魂」をやすらかにするのは、医療ではなく宗教の役割なのです。
 目に見える物質は、人間の体も含めて、自然科学の発明と進歩によって大きな影響を受けます。でも、それを人間の幸福のために用いるためには、宗教や思想が必要です。例えば原子力や放射線を考えて見てください。この目に見えない驚くべき力の発見と利用は、自然科学の成果です。原子爆弾、原子力発電所、レントゲン撮影、癌治療、すべてがそうです。

しかし、どう使うかは人の考えによります。ですから、科学は「どのように」と言う法則を見い出すが、宗教は「なぜ」という理由を見い出すと言われえるのです。宗教は、体の治療や心のケアとともに、魂の安息が必要であることを如実に語っています。自然科学の医療は、「どのように」体の痛みを取り、この肉体の命を延ばすかを考えます。それが医療の役割です。宗教は「なぜ」痛みを取るのか、「なぜ」生きるのかを問うているのです。それが分かるまでは人間の心を満たされず、「魂」の安息は得られません。
ブレーズ・パスカルは、有名なフランスの自然科学者、哲学者、文学者、神学者です。中学校では、パスカルの原理を習いました。高校で「人間は一本の葦である」とならいました。さらに彼は神学者であり、魂のことを考えて、人間の心にはぽっかりと空洞があると言いました。オリブ山病院では、パスカルの言葉の源である聖書の言葉、「傷ついた葦を折ることなく、ほの暗い灯心を消すことなく、真実をもって道を示す」(イザヤ42:3)を創立の精神として、体も心も魂もケアする「ホール・パーソン・ヒーリング(全人医療・Whole Person Healing)を進めています。なぜなら人間は、体だけの存在ではなく、心も魂も持った、全人という存在だからです。
 オリブ山病院の前身は、1958年に私の父、田頭政佐(たがみまさ)が開いた「たがみ医院」です。父は那覇市・久米にあるクリニックで、精神科と神経科を診ていました。医師一人、看護師一人だけのとても小さな医院です。1965年、父はキリスト教の洗礼を受け、クリスチャンになりました。それがきっかけで、医療も、体と心と魂を治す全人医療を目指すようになりました。やがて、久米のクリニックを沖縄県の首里に移転し、「たがみ病院」と改称し、新たに内科やリハビリテーション科を新設しました。更に1980年、医療法人「葦の会」を形成し、1983年、名称を「オリブ山病院」と改め、キリスト教を掲げた病院としてスタートしました。「オリブ山病院」と名づけた意味について、父はこのように語っています。「エルサレムにあるオリブ山は、イエス・キリストが復活昇天された場所であり、やがて再臨される場所である。オリブ山は最終的な解決の場である。罪と死の解決がキリストの再臨にあるという希望を持って、この病院はオリブ山と名づけられている。」
 父はもともと真面目な人でした。彼にとっての人生の悩みは、「真理とは何か」と言う哲学的な問いでした。もともと哲学少年で、哲学書を読みあさり、軍国主義が台頭する中で、真理を求めて教会の門をたたいたのです。「当時の牧師は、野町良夫先生で、丁度そのころ御嬢さんがご誕生、週報に『真理子』と命名されたとあった。当時『真理(しんり)』についてとかく議論することの多かった私たち中学生にとって、真理子と言う名前が格別印象的で、記憶に残っている次第である」(沖縄教会情報第8号教会の想出戦前戦後⑤) 戦争中、医学部の学生だった頃、友人が学徒出陣で次々に亡くなるのを見て、絶望的に苛(さいな)まれていました。戦後、医師になってからは、ハンセン病施設などで働いた後に精神科の医師として患者のために尽力しました。そこでもまた、父は強い絶望感を覚えるようになっていました。と言うのは、当時(1950年代)の精神科の患者さんは、座敷牢に入れら

れるなど、社会と隔絶された生活を強いられていたからです。ところが父は、人権を尊重した「解放医療」を進めたいとの強い思いで、患者さんを閉じ込めるようなことをせず、開放病棟をつくり、治療に専念しました。それでもなかなか病状がよくならない患者さんを診て、責任感の強い父はもがき苦しみました。そのためでしょうか、私が幼稚園児だったころの父は、大酒のみでヘビースモーカーでした。なんとか気を紛らわそうとしていたのだと思います。そんな父が教会に行くようになったきっかけは、実は私が通っていたキリスト教系の幼稚園でした。最初は私の送り迎えで教会に行くようになり、牧師さんからイエス・キリストの話を聞くようになり、ここに悩みを解決する方法があると思うようになりました。そして当時の悲惨な精神科の患者さんに対しても、「必ず、魂の救いがある」と確信できるようになりました。その時からです。父が酒もたばこもぴたりと止めたのは。患者さんのために「魂の治療を行う」ことを決意したからです。当時、小学2年生の私も、父のあまりの代わりように大いに驚いたことを覚えています。オリブ山病院の役割は、病める者の肉体的・精神的・社会的・霊的な癒しを含めた医療の実践を通して、世の中に奉仕することです。自分を見つめ、謙遜になり、自分の限界や弱さを認め、悔い改めて、赦してもらう事。これが「魂の救い」であり、「永遠の世界を手に入れる」ことです。私の目指す理想も治療も、その未来に向かっていくことなのです。 

ポイント 人は体と心と魂がある存在=全人。だから体と心と魂が癒しを必要と

 

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