「小羊の会」 2023年11月16日(水)
★ 法亢聖親牧師からのメッセージ
信仰告白(日本基督教団信仰告白)18 使徒信条4
全能の父なる神 ヨハネ20章17節
使徒信条に「全能の父なる神を信ず」とありますが、これはどういうことでしょうか。
まず、「全能」とは、この言葉の前にある「天地の造り主」に関係しています。天地を造られた神は全能の、偉大な力を持った神であるということです。
次に「全能」は「父なる神」に関係しています。それは「イエス・キリストにおいて全人類を救済できる神」を意味しています。天地創造の神はまた人類救済の大きな愛の力を持っておられるお方で、これが「全能の父」であるということです。
次に「父」についてです。神を父と呼ぶことはまことにキリスト教的です。キリスト教の母体となったユダヤ教でも神を父と呼ぶことはあります(イザヤ64:8など)が、稀なことでこのような呼称は、新約聖書の中には頻繁に用いられています。まず、神が父であることは「イエスの父」ということであり、イエスご自身神さまに向かって「アッバ、父よ」と祈られました
(マルコ14:36)。アッバとは、アラム語で小さな子供が父親を呼ぶときに使う言葉です。ここには、主イエスと神の関係が密接不可分、信頼に満ちたものであることが示されています。主イエスは、神の独り子、実子なのです(ヨハネ3:16)。
次にこの神は「私たち人間の父」でもあるのです。主イエスは「われわれも父よ」と呼びかけ祈るようにと教えてくださいました(マタイ6:9)。また主は神を「わたしの父である方」と言われました(ヨハネ20:17)。その時、主はどのようなおつもりで神さまを私たちの父としてお示しくださったのでしょうか。
1.大変に慈愛に富んだ方として、放蕩息子の帰りを待ち続け、これを赦す父親、それがあなた方の父なる神さまですよと教えてくださいました。
2.よく配慮してくださるお方として。空の鳥に食べ物を与え野の草を美しく装ってくださる天の父は、私たちを一層配慮・心配してくださると言われました。
3.力ある方として。あなたがたの父の赦しがなければ一羽の雀も地に落ちない。生殺与奪(せいさつよだつ)の権は天父にあることを示されました。本来、主イエスの父が私たちの父となる、父なる神の子となるのは主イエスの尊い犠牲により罪の赦しをいただくことによってです。このようにして初めて私たちは全能の父なる神を信ず、と心から告白できるのです。