「主のご委託に応えて生きる」マタイによる福音書25:14~30

深谷教会降誕前第9主日礼拝2023年10月29日
司会;岡嵜燿子姉
聖書:マタイによる福音書25章14~30節
説教:「主のご委託に応えて生きる」
   法亢聖親牧師
讃美歌:21-432
奏楽:平石智子姉

「主のご委託に応えて生きる(人は人、自分は自分)」   マタイによる福音書25章14節~30節

 ある人が旅に出かけるにあたり、僕を呼んで、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けました(マタイ25:14,15)。
「主人が僕を呼んで」というこのことが私たちの人生の根源的な枠組みだと思います。何のために呼ばれるのか。それは主の働きをするためです。「これだけのものを預けるからしっかり頼みますよ」ということです。この呼びかけに気づくかどうかで私たちの人生が変わってくるのではないでしょうか。
私たちは、父なる神さまから何かを委託されて生きているのです。そのことは3つのことを意味しています。第1にいつかはお返ししなければならないと言うことです。第2に預かっているものだから大切にする必要があると言うことです。そして第3にこの天国のたとえから示されていることは、それを有効に使わなければならないと言うことです。
大変回りくどい言い方をしましたがこの預かり物とは、神さまから預かった土の器の中に吹き込んでいただいた神さまの息(ルアッハ)、即ち命(創世記2:7)であり、その命の中に神さまがインプットされた使命とその使命を果たすための賜物・タラントンのことです。私たちはこの世に遣わされてきてそれぞれの使命を果たしたならば再び神さまから預かった命をお返ししなければならいのです。本日のタラントンのたとえは、それぞれの使命を果たすのに必要な能力・才能が与えられていることが強調されています。この主イエスの天国のたとえは、そうした命と賜物を有効に用いることが実はこのたとえが伝えている深い意味なのです。
タラントンとは、当時のユダヤの貨幣単位で英語のタレントの語源になっている言葉です。タラントンを才能、能力、個性という意味で理解することができます。本日の聖書をよく読んでみますとハッとさせられます。この主人は、5タラントン儲けた僕にも、2タラントン儲けた僕にも、まったく同じ言葉を持ってほめています。おまえは少しのものにも忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(21,23)。実際神さまの目から見ましたら私たちの能力差などあってないようなものです。1タントンは、一日の労働賃金の6000日分にあたります。現在の日本のレイトでは、6000万円から1億円に相当します。そうした高額も神さまから見たらわずかなものなのです。高い山の頂上からふもとの町を見ますと高いビルも民家も皆同じに見えます。それと同じで天におられる神さまからご覧になればこの地上の私たちの能力差など同じに見えるのです。そして同じように一人一人がかけがえのない愛する子に見えるのです。ですからひょいと「少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」と言ってのけることがおできになるのです。
そしてもう一つよく注意してみますと、5タラントン儲けた者も2タラントン儲けた者も同じ祝福を受けています。天の父と同じ祝いの席<天国の食卓>に着くという祝福です。これは天国の住人となるということです。自分のタラントンを忠実に、誠実に用いて生きればタラントンの違いがあってもすべての人が同じ祝福を受けることができるということです。
それから、このたとえでは他の人との比較、競争は、まったく問題になっていません。2タラントンの人が2タラントンの力を尽くして儲けたことを主人は喜びほめています。また、5タラントンの人にも同じように5タラントン儲けたことをほめています。2タラントンの人には2タラントン以上を、5タラントンの人には5ラントン以上のものを求めておられないのです。もし2タラントンの人が5タラントンの人に嫉妬して自分の能力の限界を超えて働いたとしたらどうなってしまうでしょう?そうです。無理がたたってダウンしてしまうのが関の山です。主人は、いくら儲けたかよりも、一人一人が委託されたものをどう用いたかをご覧になられるのです。他の人とくらべる必要はどこにもありません。かえってその人その人に努力の限界を与えてくださっているのです。このことから私たちは、人と比べる必要も人を羨み人に対して劣等感を抱く必要も全くないのです。人は人、自分は自分で良いのです。ただ誠実に且つ精一杯賜物を用いて生きて行けばよいのです。一生懸命頑張った結果が良くなくても、精いっぱいやって失敗しても、人生途上で天に召されることになっても天の神さまは祝福してくださるのです。「よくやった少しのものにも忠実であった。わたしと一緒に喜んでくれ」と。
それでは1タラントンの人はどうして怒られたのでしょうか。そうです。タラントンを土の中に埋めてしまったところに問題があるのです。怠惰な点と言い訳をした点が問題なのです。このたとえの主人が言っているように銀行に預けに行くことさえしなかったのです。つまり1タラントンの能力だから叱られたのではないのです。自分に与えられたタラントンを神さまのために自分のために家族のために少しでも用いればよいのです。神さまの御国を目指して各自が神さまから預かっている賜物を神さまのために活かし用いて参りましょう。

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