「天地の造り主」 創世記1:1

「小羊の会」2023年10月26日

★ 法亢聖親牧師からのメッセージ

 「天地の造り主」                             

「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1:1)
 毎週礼拝の中で唱えている使徒信条は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白することから始まります。
 本日は「天地の造り主」について学びます。私たちの信じる神は実に天地を造られた方だと言います。本当に偉大な神であり大きな信仰の告白です。
 造り主である神については聖書のあちらこちらに見られるところですが、創世記の1章1節はなんと言ってもその代表です。「初めに、神は天地を創造された」と最初に記されています。
 天はこの広い宇宙、そこにある沢山の星々、太陽、月を指します。太陽の存在は実に有り難い存在です。この太陽がなければ生物は育ちませんし、いつも真っ暗闇と言うことになります。地はこの地球であり、そこにある海、陸、植物、生き物そして人間です。鳥だけでも数えきれないほどの種類がいます。この地球は、実にすばらしいところです。
 神のこの作業は「無からの創造」です。神に似せて造られた人間も創造的な力を与えられていますが、これは多くの場合すでにある材料を用いて造るもので「無から」というのは、難しいかと思います。(iPS細胞)
 神による天地創造は、信仰の認識(ヘブライ11:3)であり科学的認識ではありません。科学は万物がいかなる過程(プロセス)を経て存在に至ったかを探求します(因果)。信仰は、万物の根源に一人の神のご意志を見ます(真理・神の御心を探求します)。
 さて創造の意味は何でしょう。
⓵ 万物は神の意志によって存在し、存在の根拠を神に負っているということです。したがって人間を含めてどの存在も尊い大切なものだということです。自殺・他殺、乱獲、乱開発は許されません。地球を保持していかなくてはなりません(また他の種を保存していかなくてはなりません)。  ○ 山に木を植える漁師さん 食物連鎖
⓶ 万物=被造物はどんなにすぐれた人間も太陽も星も山も樹木も海も神にはなることができないということです。拝すべきは造り主である神のみと言うことです。 ○ モーセの十戒

 次に創造の目的は何でしょうか。
⓵ それは造り主なる神を礼拝讃美するためだということができます。○ 詩編148編。聖フランチェスコの讃美(讃歌)
⓶ 神との交わりにあずかるためです。神は三位一体の神であり、この父・子・聖霊なる神との交わりに私たちを入れさせるため、そして私たちが神のパートナーとして希望をもって生きられるように創造してくださったのです。
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「参 考」
 人間の仕事:創世記より、ものに名をつけること。
 原因譚(ことのはじまり物語):労働の意味、出産の意味、夫婦の在り方。家庭の在り方、言葉が分かれた理由などなど。
 人間は、神のパートナーとして造られた。男と女は、助け合う存在として造られた。人間の造ったものには、命がない。(芸術
 などでは、器に命を吹き込むという言いまわしもありますが)。また、人間が造ったものには、もとに帰られないものが多くあ
 ります。たとえば、たいていのものはゴミとなってしまう。そのほかCO2などの排気ガスもそうですが、一番厄介なものは、
 核廃棄物や放射能です。人間の造ったものは、子孫(命)を産み(生み)出さない。科学の探求と宗教の探求の違い、哲学(思
 想・イデオロギー)と信仰の違い。神が基点と人が基点の違いがある。

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