深谷教会世界聖餐日主日礼拝2023年10月1日
司会:渡辺清美姉
聖書:ヨハネによる福音書3章1~15節
説教:「この希望によって」
法亢聖親牧師
映像・音声はございません。
説教題 「新たに生まれ、この希望によって生きる」 ヨハネ3章1節~15節
「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』(ヨハネ3:3)
今朝は、世界中の教会で洗礼の更新である聖餐の恵みに感謝する礼拝がささげられています。深谷教会では、この礼拝の中で保母さらさんが洗礼を受けられ、神の家族の一員となり、共に聖餐にあずかる恵みに加えられます。
さて、本日の聖書の箇所には、ユダヤ教の指導者の一人ニコデモが登場しています。彼は、イスラエルの最高議会であるサンヘドリンの議員で、高齢者でありました。
新聞に次のような記事が載っていました。「老人には二種類ある。即ち、元若者であった老人と元々若者であっていつまでも若者である人、言い換えれば、決して老人とならない人の二種類だ」と。実際の年齢と、いわゆる「老人」であるかどうかということは関係ないということでしょう。先日の敬老の日の朝のニュースでギネスに公認されている世界最高齢のサーファーが紹介されていました。その人は、千葉県の方で92歳ですが、「老人」ではないと思います。なぜなら、人は何歳になってもサーファーでいられるということを若い人たちに伝えていきたいという夢を持っていらして、その夢に向かって自分の体を鍛えておられるからです。あきらめていないし、老けこむと言う変化を恐れてはいないからです。
今朝の聖書の箇所にも、決して老けこむことを恐れない、老けこまない人が出てきます。ニコデモです。彼は、いつまでも若い人です。自分の考えに凝り固まらずに、新しい考えを喜ぶからです。ニコデモは、主イエスが泊まっている宿に夜(よる)遅く一人でやって来ました。彼は、主イエスという人の教えが今までの自分たちの考えていたことと違っていると思い、そこに新しい真理があることを感じていたのです。若い人は、いつも新しい考えを聞きたがるものです。だがニコデモは少しだけ配慮をしたようです。同僚の議員たちが主イエスを批判しているので、夜(よる)目立たないように主イエスを訪ねたのです。
かつて、テレビで「変わらなきゃ」というコマーシャルがありました。ニコデモもそのような気持ちで主イエスの所に来たのでしょう。彼は、若者の心を持つ、変化を恐れない、自分の理想・夢をいつも追いかけ、成長し続ける人だったのです。
主イエスの時代のユダヤでは、目上の人が重んじられていました。目上であるニコデモが「ラビ(私の先生)、あなたは神の子です」と自分よりずっと若い主イエスに言ったということは大変勇気のいることです。そういう意味で、ニコデモは自由な人です。
主イエスは、ニコデモの自由で柔軟なあり方に共鳴して答えます。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神を見ることはできない。」
ニコデモは尋ねます。「新たに生まれることとは、どういう意味ですか」。
主イエスは答えます「はっきり言っておきます。誰でも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。・・霊から生まれた者は霊である。『あなたが新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者もそのとおりである。」(3:5~8)。この主イエスの言葉を解くカギは、「霊」という言葉にあります。「霊」は、ヘブル語で「ルアッハ」です。「ルアッハ」には、「神さまの霊(聖霊)」という意味の他、「息」、「風」という意味があります。ですから、3章の3節から8節の主イエスのみ言葉は、「あなたは、水と聖霊とのバプテスマ(神の霊)を受け、神さまと共に生き、あなたも霊(永遠の命をいただいた者)となり、新たに生まれ変わり、風のように生きなさい」と言うことなのです。言い換えますと、主イエスは、ニコデモに「あなたは、神の霊を受け、神と共に生き、風のようになることです。どこからきてどこへ行くのか分からない。あの風のように自由に生きるのです」と言われたのです。
ニコデモは尋ねます。「風のように生きることがどのようにしたらできるのでしょうか」。
主イエスは答えます。「わたしを信じたあなたはもう新しく生まれたのです。ですから今、あなたがしていることが、新たに生きること、風のように生きることです。あなたはユダヤ社会では出世をして地位のある人なのに、わざわざわたしに会いに来たではないですか。話を聞きに来たではないですか。新しいことに開かれた心と、自分を変えたいという意志と行動、それが常に新たに生まれること、常に若者であることです。そのような人は自由に行動し、自分を変え(成長させ)ていきます。あなたのように。そしてそのような人が神と共にいる人なのです。なぜなら、神さまは自由に動き回る風のようなお方だからです。」
この主イエスの言葉を聞いてニコデモは非常に喜び、主イエスを信じ受け入れ、その日から彼は主イエスの弟子となったのです。そして、神の子として新たに生まれかわり、神と共に生きる者となったニコデモは、ユダヤ議会でも勇気ある発言をする者となりました。この世のしきたりや人を恐れない自由な人になりました。普通周りの人に流されたり、新たな考えに従ったりはしにくいものです。しかし、彼の心は若者(柔軟)であり自由であり続けたのです。数の力に縛られずに、自分が本当に大切だと思うことを公に正直に言う自由な人に変えられていったのです(ヨハネ8:32)。
以上より、ニコデモが聖霊によって主イエスのもとに導かれ、主イエスに出会い、聖霊のバプテスマを受け、新たに生まれかわり、主と共に風のように自由に生きるものと変えられたことを学ぶことができました。そしてもう一つ 聖霊のバプテスマを受け、新たに生まれかわる時に頂ける恵みがあるのです。それは、神の子として神の御国に入るという目標と希望を持って生きる者となるという恵みです。使徒パウロが「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなた方のために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐものとしてくださいました。」(Ⅰぺトロ1:3、4)と証言している恵みです。