「大切なものは目に見えないんだ」 Ⅱコリント4:16~18

深谷教会聖霊降臨節第14主日礼拝2023年8月27日
聖書:Ⅱコリント4章16~18節
説教:「大切なものは目に見えないんだ」
   法亢聖親牧師
讃美歌:21-530
奏楽:野田周平兄

 説教題:「大切なものは、目には見えないんだ」     コリントの信徒への第2の手紙4章16~18節

 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは、過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(Ⅱコリント4:18) 
 私たちは2つの目を持っています。「当たり前です」と思った方もおありでしょう。「目は両眼2個あるのですから」。
しかし私が言うのは、この目の玉のことではなく、私たちは形あるものを見る「肉の目」と、もう一つ形のない肉眼では見ることのできないものを見る「心の目」この二つの目をもっているのです。「肉の目」は、人の姿や形、美しい自然の景色、さまざまな物質、本やメールなどの活字などを見ることができます。「心の目」は、人の優しさ、正直さ、喜び、悲しみ、不安や焦り、そして信じることや愛すること希望など、目に見えないものを見る目です。肉の目は、外面、外側、表面に関心を向け、心の目は、内側、内面に関心を寄せます。このどちらの目も人間が生きていく上で大切なものです。
 サン・テグジュペリは、「肝心なことは、目に見えないんだ。心で見ないと、ものごとは良く見えないってことさ。」と著書“星の王子さま”の中で書いています。人間にとって肝心なことや大切なことは、みな目に見えません。神さまもそうです。信仰心がなければ見ることもお会いすることもできません。愛すると言うことも、信じると言うことも。そして私たちの命も見えません。ところがそれらは、「心の目」で見ることができるのです。まず、対象となる人を心で受け止めることです。確かに人を心で見、受け止めれば、その人を「愛」することになり、そのことによってその人との新しい関係が生まれます。そればかりか相手への理解が深まり相手が「かけがえのない存在」に変わって行きます。神さまとの関係も同じです
 子供は、特に生まれたての赤ちゃんもそうですが、親に受け入れられていると心の底から感じていますから、親を信頼して言葉もしゃべれないのに、目もまだハッキリ見えないのに母親と父親に全面的に身をまかせて成長することができるのです。赤ちゃんは自分を守り育ててくれる親の愛を心と体で感じ取っているのです。0歳~3歳までに親に抱きしめられて育った子供は、人を愛することができる人間になるのです。私たちは、人となられ、この世に降誕された主イエスを通して父なる神さまを知ることができ、神さまがどんなに私たちを愛しておられるかを知っています(ヨハネ3:16)。
 またサン・テグジュペリは、著書「星の王子さま」を通して「現代人は、自分の存在の意義を見失っている」ことを痛烈に伝えています。目に見えるものにのみ価値を置き、見た目の美しさを追い求めて整形をしたり、学歴だけを求めて自分のやりたいこととは別の勉強をしたり、本当に自分がやりたいことは何かを知ろうともしないで周りに合わせたり、親の言いなりになって、自分らしい本当の自分の人生を歩もうとしない人が多すぎるのを見て、「星の王子さま」を書かざるを得なかったのでしょう。もちろん、彼はクリスチャンで、彼の書いた本には聖書の精神が土台にあるのです。「最後まで残るものを見続けよう!」とサン・テグジュペリは、伝えようとしているのです。
 説教の冒頭の聖書の箇所を思い出してください。確かに見えないものは、見えるものより大切なものです。皆さんに持っていただきたいのは、第一に「信仰」です。神さまを信じることによって、神さまに結び付き、神さまが見えるようになり、神さまの御心も理解できるようになるからです。次に、「希望」です。信仰によって神の国に入るという希望と神の国を備えるという希望が与えられます。まだ見えないものです(ローマ5:1~5)。聖書に「老人たちは夢を見、若者たちは幻を見る」(ヨエル2:28)とあります。
 信仰によって与えられた神の国に入るという希望(「夢」や「幻」)と神の国を備えるという希望は、まだ見ていないものに永遠なるお方がお授けくださる恵みです。目に見えるものは、一時的です。しかし目に見えない永遠に続くその希望(夢や幻)は、聖霊の導きにより愛によって実現するのです。
 「わたしたちは、今は、神の国をおぼろげにしか見ることができない。その時にははっきり見ることができる。わたしの知るところは、一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(Ⅱコリント13:12,13)。
 どうぞ若い方も、年を重ねた方も、全人類の究極の「夢」、「幻」である「神の国に入る」と言う希望と「神の国を備える」という希望を目標にして生きて行っていただきたいと思います。そして、老いも若きもそれらの希望を実現するため愛と互いを信じ合う心を大切にして生きて行きたいものです。聖霊によって心の目が開かれ、神さまを信じ、キリストに救われ、主イエスが開かれた、神の国に通じる隣人愛の道を、主と共に皆様と共に歩んで行きたく思います(ルカ9:23)。

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