「恵みにより召されたる者の集い」 ローマ11:5,6

「小羊の会」2023年7月6日

★ 法亢聖親牧師からのメッセージ

信仰告白(日本基督教団信仰告白)8                

「恵みにより召されたる者の集い」    ローマ11章5,6節     
           
 「同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みではなくなります。」(ローマ11:5,6)

 「教会は・・恵みにより召されたる者の集いなり」と教団信仰告白にうたわれています。
 この恵みは、わたしたちの行いによるのではなく、上から神から一方的に、私たちに与えられたことを指し示しています。
 私たちが今、キリストの教会の一員とされていることは、まったくそのような恵みによる以外の何物でもありません。主イエスは「わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)と言われ、パウロは「恵みによって選ばれた者」(ローマ11:5)と述べています。
 主が選ばれた弟子たちは特にすぐれた学問知識を持たない漁師たちであり、取税人(徴税人)でした。コリントの教会に集う人々は無学な者、無力な者、無に等しい者たちでした(Ⅰコリント1:18~31)。さらに主は丈夫な人・ただしい人でなく、病人・罪びとを招くためです(マルコ2:17)。「信仰に入る人間は弱い人間だ」とよく耳にしますがその通りだと思います。否、自分に欠けがあり、弱い人間だと自覚している人が信仰者となると言ったほうがよいかと思います。神さまは、また子なるキリストは、弱い人間を優先的に選んでくださいますから感謝のほかありません。
 次に教会は「召された者の集い」です。教会をギリシア語でエクレシアと言います。これは、ギリシアの人たちが公の目的で集まる集会を意味していました。この言葉の本来の意味は、「呼び出して集める」ということでした。本来的には、呼び出されて集まった人たちの集まりがエクレシアでした。この言葉を初代のキリスト者が拝借して用いたところが素晴らしいと思います(適切だったと思います)。つまり私たちは、神に呼び出され集められているのですから。
 自分から進んで教会に来たと言われる方もおられるかもしれませんが実はその前に主からの呼びかけ、召しがあったことを覚えて欲しいと思います。
 カルバンは、教会は「信仰の部隊」だと言いました。部隊は王や本部の命令によって召集され集められた一隊です。その意味でこのカルバンの教会に対する言い方はふさわしいと思います。この神の部隊は、主の日(主日)ごとに集められ整列し礼拝をささげ、御言葉と御霊との武具を身に着け(霊に満たされ)てそれぞれの遣わされている戦場(日常)に送り出され(派遣され)そこで主を証し愛の業を心掛け仕事と奉仕にあたって行くのです。

*参照 エフェソ6章

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