「主が造られた『聞く耳と見る目』を生かして」 箴言20:1~12

「聖書の学びの会」2023年7月5日

★ 法亢聖親牧師からのメッセージ

「主が造られた『聞く耳と見る目』を生かして」   箴言20章1~12節 

 「人の心にある計りごとは深い井戸の水のようだ、しかし、さとき人はこれをくみ出す。」(20:5口語訳)
 「思い計らいは人の心の中の深い水。英知ある人はそれをくみ出す。」(20:5新共同訳)
 「人の心にあるはかりごとは深い水、英知のある人はこれを汲み出す。」(20:5新改訳)
 「人が心で考えていることを、知恵ある人はうまく引き出して役立てます。」(20:5リビングバイブル)
 
 箴言には、印象に残ることばが散りばめられていますが、それらの一節だけを取り上げて、人生訓のように用いることには注意が必要です。言葉の意味を曲解してしまわないためにも、各節の関わり合いを意識しなくてはなりません。
 たとえば、2節、8節には、王についての箴言があります。ここには、王には絶対的な権力があることと、悪をふるい分ける判別力があることが記されています。これを読むと、あたかも王が別格な存在であるかのような印象を受けます。しかし、28節を見ますと、王が保たれ、王位が支えられているのは、あくまで「恵みとまこと」によることが分かります。王の権限は、その立場によって保証されているわけではありませんし、王の裁定は超人的な資質によってなされるわけでもないのです。
 また、8節を9節と合わせて読むと、王のさばきは決して完全にきよいものとはいえない、ということがわかります。王でさえも、「自分は罪から離れた」とは決して言えないからです。むしろ、幼子のように、自分の行いが純粋かどうか、まっすぐかどうか識別しなければなりけません(11節)。そして、その識別のために用いなくてはいけないのは、主が造られた「聞く耳と見る目」です(12節)。また、主が与えてくださる「人間の息」は、人間の良心のことを指していると考えられていますが、この「息」を「ともしび」として、腹のそこまで探り出す必要があるのです。
 同じように、3節は一節だけで読むと、争いの問題点を描いているだけのように思えます。しかし、22節や24節にも目を留めますと、争いを引き起こすことがなぜ愚かであるかが、わかってきます。「悪に報いてやろう」と言わずとも、主を待ち望む者は救われますし、人の歩みは主によって定められるからです。
 5節も、6節と共に読むなら、理解の厚みが増します。5節の「深い水」とは、くみ出すことが困難なもの、心の深淵たるさまを示すものだと思われますが、英知のある人にはこれを探ることができます。このように他者の心にある計画を明らかにする必要があるのは、多くの人が自分の親切を吹聴するからです。忠実な人を見つけるのは困難ですから、人の本心を見抜く英知が求められるのです。
 ただ、今示した結びつきは、どれほど箴言の編者が意図したものであるかは、分かりません。無理につなげてしまうことで、かえって不自然な解釈になってしまっている可能性もあります。ですから、箴言を繰り返し、繰り返し読む中で、吟味していく必要があると思います。
 私たちの住む世界に秩序を設けてくださった主は、箴言のことばの中にも調和を与えてくださっています。「主が造ってくださった聴く耳と見る目を十分に活用しつつ」、その豊かさを十分に味わっていきたいものです。主を畏れつつ、従順に従う思いで読み進める時に、箴言を読み解くための知恵は備えられていくことと思います。 

 天の父なる神さま 
 性急な判断、軽率な行動から、私たちを守ってください。あなたの与えてくださった五感や理性を働かせて、主のことばにじっくりと耳を傾けて、知恵を聴き分けられるようにしてください。
  御子の御名によって祈ります。  アーメン

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