「小羊の会」2023年6月29日
★ 法亢聖親牧師からのメッセージ
「我らをきよめ―聖化」 フィリピ1章6節
「あなた方の中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(フィリピ1:6)
本日は、日本基督教団信仰告白の中の「この変わらざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ、その業を成就したまう」から学びます。
「変わらざる恵み」とは「ただキリストを信ずる信仰により我らの罪を赦して義としたまう」ということです。これを“信仰義認”と言います。キリスト信仰によって義と認められる、罪が赦されるのです。これは大きな感謝です。そして今度はさらに、「聖霊は我らを潔めて義の実を結ばしめ」てくださるのです。
これもまた大きな恵み、感謝なことです。罪の赦し(信仰義認)、これを木の根っことすれば、潔め・義の実(聖化)はその木になる果実と言ってよいのではないでしょうか。
潔めとか果実とは具体的になんでしょうか。それは「愛・喜び・平和」(ガラテヤ5:22)です。神と人への愛、深い喜び、平和・平安な思いが与えられるのです。何と幸いなことでしょう。それはまたキリストが私の内に生きてくださること(ガラテヤ2:20)、
私たちがキリストのお姿に似たものになって(ローマ8:29、Ⅱコリント3:18)
いよいよ神に従順に従い愛の人格に変えられて行くことだと言ってよいと思います。
ジョン・ウエスレーは、「キリスト者の完全」ということを言いました。その意味するところは、先に述べましたことと違いはありませんが、ウエスレーは、こうした潔めが現世において実現することを力説しました。
聖化をプロセスとしてとらえることができます。徐々に潔められて行くというようにです。潔めは、現世から始まり完成は、私たちがついに主イエス・キリストとお会いする時です。パウロは、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、私は確信しています。」(フィリピ1:6)。
霊において生きるキリスト=聖霊が私たちの内に働いて私たちを潔めつつあり、義の実を結ばせつつあることを信じ、感謝し、いよいよ祈りを深くして歩んでいきたいものです。
※「キリスト者の完全」 J・ウエスレーの著書 この本は、メソジスト運動の土台をなす本で、ホーリネスの4重の福音にも影響を与えています。4重の福音とは、「新生、聖化、神癒、再臨」のことです。
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