「神の選び」 ヨハネによる福音書15:16

「小羊の会」2023年6月15日

★ 法亢聖親牧師からのメッセージ

 「神の選び」   ヨハネ15章16節     
                           
 私たちは教団信仰告白で「神は恵みをもて我らを選び」と唱えますが、本日はこの選びについて学んでみたく思います。「選び」は、旧約聖書、新約聖書を貫いている太い一本の線(思想)です。
 申命記7章6節に「あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた」とあります。こうして神によって選ばれた民がイスラエルの民です。なぜイスラエルの民が選ばれたのでしょうか。有力な優れた民であったからでしょうか。
 「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに」選ばれたことが明記されています(申命記7:7、8)このことからイスラエルは、ただ神の自由な一方的な愛のゆえに神の民として選ばれたのです。この民に律法が授けられ末裔よりキリストがお生まれになったのです。
 新約聖書では、どうでしょうか。
「あなたがたが選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)
 主イエスが12弟子を選ばれました。12弟子の内4人は、漁師ですし、徴税人までいました。つまり特別な人々が選ばれたのではなく、普通の人もしくは、支配国のローマのために働くどちらかというと同胞から敬遠される職業の人もいたのです。12弟子のほかの弟子たちの多くは、貧しい人々でしたし、女性の弟子たちの中にはマグダラのマリアのように遊女で罪びとのカテゴリーに入れられていた人もいたのです。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」(マルコ2:17)
 イエスさまは、正しいひとを招くためではなく、罪びとを招くためにいらしたのです。
 初代教会の様子を見てみましてもそこには、イスラエルの民だけではなく、異邦人とされていたさまざまな国の人々が招かれていました。高官、学者、医者、兵士、豪商という人々だけでなく奴隷や僕(従者)という階層の人々も多くいたのです(Ⅰコリント1:26以下)。今日(こんにち)の私たちもその延長線上にあるのです。
 教会は、新しい神の民、新しいイスラエルと言われるように、教会につながる私たちも父なる神、また主イエスキリストによる一方的な恵みの選びによって救いに与かり罪の赦しと永遠の命をいただくことになりました。まことに感謝というほかありません。

☆注 カルバンなどが提唱した、「2重予定説」には、わたしは反対です。ある者は救いにある者は滅びに定められているというものです。私のようなものが救われたのですからなにをかいわんやです。

関連記事

PAGE TOP