「箴言から学ぶ」 箴言3:22~35

「聖書の学びの会」2023年4月26日

★法亢聖親牧師からのメッセージ

箴言から学ぶ 箴言3章27~35節   

 「心を尽くして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(3:5,6口語訳)
 「心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ、主があなたの進む道をまっすぐにされる」(3:5,6新改訳)
 この3章5節、6節の言葉は、主により頼むことは、主を畏れる生き方の要です。ただし、この主への信頼は主との個人的な関係だけでなく、隣人(他者)との関わりにおいても現わされる必要があります。事実、5節の直前の4節には「神と人との前に恵みと、誉とを得る」とあり、3節には「いつくしみとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、心の碑(ひ)に記せ」とあります。主により頼む者は、恵み(忠実)とまこと(誠実)の道をまっすぐに進んで行くことを期待されているのです。
 3章の27節~35節には、その「恵みとまこと」の実例が示されています。27節~29節では、隣人に善意で関わること、29節、30節では、隣人に危害を加えないことが教えられ、そして31節~33節では乱暴者、よこしまなもの、あざける者にあこがれることの危うさが語れています。
 ここに示されている生き方は、主をより頼むからこそ、実践できるものです。たとえば、27、28節では、困窮する者に施しをすること、もしくはしかるべき対価を支払うこと(レビ記19:13、申命記24:14、15)が命じられています。このように他者に自分の持ち物を明け渡していくためには、主があふれるばかりに与えてくださるという事実を、しっかりと受け止めなければなりません。9、10節には、大胆にささげる者を、主が豊かに満たしてくださるという約束があり、16節には知恵が富と誉をもたらすと記されています。よき物を備えてくださるこの主を知る時に、人は隣人に気前よくふるまうことができるのです。
 反対に自分の知識に頼っている間は、「恵みとまこと」を示し、悪から遠ざかることが難しくなります。むしろ、暴虐(ぼうぎゃく)を行う者をうらやんでしまうのではないでしょうか(31節)。なぜなら、人間的な損得勘定だけで考えると、正直者として馬鹿を見るよりも、隣人を出し抜くほうが、賢いように思えるからです。しかし、箴言は暴虐の道を選ばないようにと釘を刺しています。そして、主が曲がった者を憎まれることを示し(32節)、主が正しい人、へりくだった者、知恵のある者のために用意してくださるものに、目を向けさせています(33~35節)。この知恵の道に歩む時、主は守りを与えてくださるので、たとえ悪しき者たちに脅かされることがあったとしても、恐れる必要はないのです(25、26節)。
このように人との関係に、主への信頼を活かしていくことは、口で言うほど簡単なことではありません。しかし、できるかできないかを自分の知識や知恵で決めつけるのではなく、道をまっすぐにしてくださる主により頼んで、「恵みとまこと」のうちを歩ませていただきましょう。

 祈り 
天の父なる神さま  
 あなたの「恵みとまこと」が私自身の歩みと私の人間関係を支配しますように。そのようにして、あなたの「恵みとまこと」を現わす者としてください。そのために、あなたにより頼む心を与えください。
                     み子の御名によって祈ります。 アーメン     

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