「誰が一番偉いのか」 マタイによる福音書18:1~9

「小羊の会」2023年4月13日

 法亢様聖親牧師からのメッセージ

「誰が一番偉いのか」   (マタイ18:1~11)

 「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(マタイ18:4)(新共同訳)
 「この幼子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。」(マタイ18:4)(口語訳)
1 誰が天国で一番偉い者となるか
 弟子たちはイエスさまに、天国では誰が一番偉いのですかと尋ねました(1節)。この世では、だれもが他者を支配したがります。しかし、権力の獲得や野望の達成を願う時、人生は天国の祝福とは逆方向に向いてしまいます。イエスさまは、弟子たちに、「はっきり言っておく心を入れ替えて(悔い改めて)子ども(幼子)のようにならなければ、天の国に入ることはできない」と言われました(2,3節)。
 これは精神的に幼くなりなさいと言う意味ではありません。子供は、謙遜(謙虚)と信頼の象徴です。子供が親を信頼するように、謙遜になって神さまを信頼する人が、神の国では最も尊ばれるのです(4節)。イエスさまの贖いによって神さまの子とされるという恵みにすべてを委ねて生きることが、子供のように自分を低くする者の生き方です。
2 小さい者をつまずかせない
 ここでの「子供」とは、霊的に弱い信仰を持ち始めた人(求道者も含む)ととることもできるのはないでしょうか。そのような人に霊的な面で仕える者となるということは、謙虚さの証拠であり、イエスさまの命に従った生き方だということができます(5節)。しかし、「小さな者」をつまずかせることには気をつけたいものです。それは、配慮に欠けたことだからです(6節)。この世の支配者(サタン)は、神さまから私たちを引き離そうとしますが、キリスト者である私たちがその片棒を担いで新しく生まれ変わったばかりの人々や求道中の人々の信仰のつまずきとなるようなことは避けたいものです(7節)。私たちは、手足や目を自己中心的な目的のためではなく、人々の霊的な成長のために使うように造られているのです(8,9節)。信仰的な体験が少なく、霊的にも物質的にも、信仰の弱い人々を軽視してはいけないと思います。天使に関するこの表現は、比喩的な表現で、子供たちの高い価値、霊的な成長の大切さを象徴しています。
3 天国で偉い人 (マタイ18:4)
 アメリカのロックの王様と言われたエルヴィス・プレスリーは、聖書をよく読み、祈り、ゴスペルを歌うことがその生涯(42歳召天)大変好きであったようです。2歳半から母親と教会(ペンテコステ派)に通っていた彼の夢は、ゴスペル歌手になることでした。スターになってからもプレスリーは、仲間とよくゴスペルを歌っていたそうです。また、人の悩みを聞く時には、聖書の一節を読み一緒に考えてくれていたとのバンド仲間の証言も
あります。その意味で彼は、霊的な人であったのです。彼の霊的なエピソードの中の一つに祈りによってメンバーのガンを癒したという証言もあるほどです。謙遜さの例としましては、ノートルダム大学のショーでの最中、熱狂的な女子学生たちが「エルヴィス ユー
アー ザ キング!(エルヴィス あなたが王だ!)」と書いた横断幕を広げていました。するとエルヴィスは、「ノー ジーザス クライスト イズ ザ キング!(いや、イエス・キリストこそ王だよ!)」と言って優しくたしなめたそうです。エルヴィスは、神さまの前で謙遜(謙虚)なキリスト者となるように母親に育てられ、また彼自身もそう望んでいたのでした。プレスリーは、派手なイメージとは異なり、謙遜で、人々の霊的な成長のために自分の賜物を用いる人(仕える人)だったのだと私は思います。イエスさまは、こういう人が天国で一番偉い人だと言われたのではないでしょうか。

関連記事

PAGE TOP