「すさまじい愛」 雅歌8:4~10

「聖書の学びの会」2023年4月12日

 法亢聖親牧師からのメッセージ

奨励題 「すさまじい愛」     雅歌8章4節~10節   

 8章は雅歌の全体と深い結びつきがある箇所です。ここには、これまで用いられてきたフレーズやモチーフ、そして登場してきた人物が、多く見られます。たとえば4節では、「エルサレムの娘たちよ・・お願いする)」、あるいは「ことさらに呼び起こすことも、さますこともしないように」という何度もなされてきた呼びかけ(2:7,3:5、5:8)が、繰り返されています。また、5節の前半では、3章6,7節の「上って来るものは何か」を想起させる問が為されていますし、8,9節には1章6節で触れられていた「母の子らは(息子たち)」つまり女性の兄たちも登場します。このように見て行きますと、この箇所は8章までの流れをまとめ上げる終曲部だと考えられます。実際、6節以降では、これまで以上に印象深い表現が用いられていて内容的にもクライマックスとなっています。
 まず、女性は男性に対し「封印のように・・・押印(おういん)してください」と語り、彼のそばに引き寄せてくれるように頼んでいます。この「封印」は、ほかの翻訳では「印章」「印形」とも訳されているので、所有権を示す現代の印鑑のようなものでした。この印章はひもを通して首にかけたり、指輪にして指に着けたりと、肌身離さず身に着けるのが常でした。つまり、女性は「私のもの」と互いに呼び合う親密な関係に入ることを求めているのです。
 それから、彼女は愛そのものについて語り始めます(6,7節)。「愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです」、新改訳では「愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しい」、これは、なんと強烈なことばでしょうか。ここでは「愛」と「ねたみ」が同等のものとされています。妬みは、相手の思いが自分だけに向くことを願う排他的な感情です。そして、そのような妬みの伴う愛は、死や墓(よみ)よりも強いというのです。言うまでもないことですが、死は人間にとって最も手ごわい敵です。物質的なものも精神的なものも、あらゆるものを奪い去ってしまうからです。けれどもこの女性は、その死に勝るとも劣らないほど、愛は強いというのです。
 続けて、彼女は、愛を炎にたとえています。その愛の炎は、大水も消すことはできないし、奔流(ほんりゅう)も押し流すことができない、と彼女は語ります。かつて大水は、世界最強の軍隊であったエジプトさえも飲み込んでしまいましたが(詩編77:17~208p815、出エジプト15:4~10p95参照)、愛はそれをも乗り越えるものなのです。
 そんな大胆不敵な発言をする女性に、彼女の兄たちは冷や水をかけるようなことを言います。彼女は、まだ十分に成熟しておらず、まだまだ保護される存在だというのです(8,9節)。しかし、彼女は兄たちのことばを取り上げながら、毅然と応答しています。自分自身は、りっぱな大人になっているだけでなく、パートナーに平安(ヘブライ語のシャローム)をもたらすものだと語るのです(10節)。ここに、育まれて来た愛の一つの到達点が描かれています。愛は単に繊細なもの、感傷的なものではなく、あらゆる障壁を乗り越える実行力を伴う意志なのです。
 もちろん、このような愛は自然発生するものではなく、「焼き尽くす火、ねたみの神」(申命記4:24)である愛なる主によって、もたらされるものです。人を御許(みもと)に抱き寄せる神さま、人のうちに神さまと人への愛を生み出してくださるのです。

祈りましょう。
天の父なる神さま
 キリスト・イエスにあって、何ものによっても引き離されない愛が与えられていることを感謝致します。日々、御子のかたちにつくり変えられることによって、神さまと人を愛することに成熟していくことができるようにしてください。 
             御子イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン

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