「エルサレム入城」 マタイによる福音書21:1~10

「小羊の会」2023年3月23日
 
法亢聖親牧師からのメッセージ(奨励題)

「エルサレム入城」  (マタイ21:1~10)

「もし、だれかが何か言ったなら、『主がお入りようなのです』と言いなさい。すぐに渡してくれる。」(マタイ21:3)
1 弟子たちが、ろばの子を連れてくる
 イエスさまは、十字架におかかりになられるためにエルサレムに入られます。その時、
ろばの子に乗るため、向こうの村からつないである子ろばを連れて来るよう、弟子たちに
言われました(マタイ21:1,2)。向こうの村ベタニアには、イエスさまの友人が多く
いて、主がお入りようだと言えば、ろばを提供してくれる人がいたようです(21:3)。
十字架につかれるイエスさまを運ぶために、子ろばが必要とされました。今日でもイエス
さま(の福音)を運ぶために子ろばの役目を果たす人が必要です。主が子ろばに乗られた
のは、預言の成就でもありました(21:4)。シオンの娘とは、エルサレムの住民のこと
です。パレスティナでは、ろばは王の乗り物として使われる尊い動物です。つまり、王は
戦いの時には、軍馬にまたがり出陣し、敵に勝利をして凱旋する時には、ろばに乗ったの
です。ろばは、平和がイスラエルに訪れたことを告げ知らせる動物です。キリストは、平和
の王としての象徴をもってエルサレムに入城されたのです(21:5)。
参考 ゼカリヤ9:9 

2 ろばに乗ったイエスさま
 イエスさまが子ろばに乗ってくると、群衆は勝利と喜びのしるしであるシュロ(ナツメヤシ)の木の枝を切って道に敷いて迎えました(21:8)。「ホサナ(今、救いたまえ)」と叫んで歓喜してイエスさまを迎えたのです。彼らは、イエスさまが武力をもってユダヤをローマの支配から解放してくださる、ユダヤ人の救い主だと思い込んでいました(21:10)。彼らは、旧約聖書の2つのメシア預言のうちイスラエルの最大の王ダビデの再来としてのメシアを待ち望んでいたのです。その望みをイエスさまに託していたのです。しかしイエスさまは、もう一つの苦難の僕(イザヤ53章)としてのメシアとしてこの世に来られたのです。武力や経済力によってではなく、愛の力によって世界を変えるお方として降誕されたのです。このエルサレム入城という出来事は、平和の君をどのように迎えるか(受け入れるか)が問われている出来事です。
参考 マラキ4:5
〇 お金の力や武力ではなく、十字架の贖いによって魂に新しい命を与え、内面から世界を変えてくださるキリストを主としたいものです。―
〇 イエスさまは、速くて見た目もかっこよい馬ではなく、ろばをお用いになられるお方で
す。

3 キリストの愛は世界を変える (マタイ21:5)
 リンカーンが大統領の選挙に出馬した時、彼を憎むスタントンという人が、公衆の面前でリンカーンの批判を言い、評判を落としました。それでも当選したリンカーンは、なんと陸軍長官にスタントンを選びました。「大統領、スタントンはあなたの敵です。彼はあなたの計画をわざと台無しにするでしょう」と周囲の人々は心配しました。するとリンカーンは答えました。「スタントンのしたことは知っています。しかし、彼がこの仕事に最適だと分かったから任命したのです」と。陸軍長官となったスタントンは、リンカーンの期待どおり、国家と大統領に計り知れないほどの貢献をしました。リンカーンが暗殺されると、大統領を誰よりもすばやく賞賛の言葉を述べたのはスタントンでした。リンカーンがスタントンを憎んでいたならば、二人は恨み合った敵として、生涯を終えていたでしょう。南北戦争中、リンカーンが敵の南部について優しい言葉を語った時、不思議がる聴衆に、リンカーンは言いました。「私が敵を友に変えてしまう時、敵を滅ぼしたことにはならないでしょうか」と。リンカーンは、実に聖書をよく読み、その御言葉を自分の心の糧(血と肉)と
していたのです。幼子のようにキリストの教えに従って生きた人でした。イエスさまは、十字架の贖いにより、私たちを神の子として下さるばかりか品性をも回復して下さるのです。それゆえ、私たちは愛の力で、世界をかえるように導かれているのです。

祈り
 天の父なる神さま 平和の君なるイエスさまに従うことにより、私たちの魂をあなたの命
で満たして下さい。そして世の力によらず、神さまの愛の力で、世の中をよりよくしてい
くことができるようにしてください。小さなろばの子として。
 み子のみ名によって祈ります。アーメン

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