「偽り誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ」マタイによる福音書5:33~37

「小羊の会」2023年3月9日

法亢聖親牧師からのメッセージ

 『偽り誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ』  (マタイ5章33節~37節)

 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『偽りの誓いをたてるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは、神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもすることができないからである。あなたがたは、『然り(しかり)、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:33~37)
 このみ言葉を説くカギは、ヤコブの手紙5章12節にあります。
 「わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはいけません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと。裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになります。」
 あなた方は「「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。正しいことは、正しいと言う。間違っていることは、間違っていると言う。つまり、あなた方は、いつも真実であるようにしなさいと言う、イエスさまの言葉です。誓いを立てているかどうかに関係なく、いつも真実を語りなさいとのメッセージです。決してイエスさまは、誓いの無化を言っておられるのではないのです。誓いとは、本来厳粛で神聖なもので、神さまを証人に立て、神さまの前で真実を断言することです。また、誓いとは、自分が話すことは絶対に間違いないことの確証として、神聖な対象に向かって厳粛な宣言或いは、証言をすることです。しかし、34~36節を見ますと、誓いの対象として、「天」「エルサレム」「頭」が挙げられています。これらは、神の被造物です。これは、当時ユダヤ教徒の間で「わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。」(レビ記19:12)。とのみ言葉があるのですが、当時の人々は、神ではなくほかの何かによって誓うならば、偽りの誓いとはならないと解釈していました(詭弁、方便化していました)。イエスさまは、こうした詭弁に対して「ノー」と言われたのです。たとえば「頭」即ち、自分の名誉や能力にかけて誓うと言ったとき、結果的に果たせなかったならば、神さまを汚すことにならないというわけです。また、他の神々に誓うなどとは、もってのほかです。偶像(偽の神々)は、人間が造ったものだからです。そのほかの解釈として、○○に誓うと、○○のせいにするということが起こるのです。つまり、合理化です。○○に誓うということは、その○○に根拠を置くということです。平たく言いますと○○のせいにするということになります。責任転嫁です。できもしないことを、守れもしないことを、神さまに誓って宣言したり、約束をしてはならいということです。できないことは、できない。そして、できないとあきらめないで、真実を神にのべ(祈り)、できるようにしてもらうようにということがイエスさまの真意です。<主にゆだねよ>ということです。

関連記事

PAGE TOP