「聖書の学びの会」2023年2月22日
法亢聖親牧師からのメッセージ
奨励題 「愛する方の語りかけ」 雅歌2章8節~17節
旧約・新約聖書66巻の中でも、おそらく雅歌程多様な解釈がなされた書物はないと思います。ユダヤの伝統においても、キリスト教会の歴史においても、さまざまな読み方が試みられてきました。
一つ一つの言葉を「イスラエルと神さま」、「教会とキリスト」の関係を表す比喩として見る読み方、雅歌全体をイスラエルと神さまの歴史を象徴的に描いたものととらえる読み方、逆に雅歌を単なる恋愛詩と考える読み方、また、婚礼の際に用いられた典礼文的書物とする読み方もありました。
どれがふさわしい解釈かは、定かではありませんが、いくつかの原則的な事柄を確認しておきたく思います。
確認1 雅歌は、聖典ですから、どこかの誰かの恋路を描いた詩集ではありません。「人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益」(Ⅱテモテ3:16)な書物として読む必要があります。
確認2 また、「聖書を聖書によって解釈する」という大原則も、踏まえましょう。たとえば、ある聖書学者は、雅歌に繰り返し「ハツェル(庭・園)」という言葉が用いられていることに基づいて(4:12、4:15—16、5:1、6:2、8:13)、創世記2章に描かれているエデンの園との関係で、この書は読むべきであると述べています。創世記3章が「躓いたラブストーリー」だとすれば、雅歌は「取戻された愛の抒情詩」だというのです。このような説は、読み込みすぎのように思われますが、雅歌の描写する情景を見渡す(鳥瞰する)と、納得のいくものであることが分かります。
確認3 事実、雅歌においては、男女の関係だけでなく、他の被造物との関係も、調和のあるものとして描かれているからです。本日の聖書の箇所でも、「花」や「山鳩」「いちじくの木」「ぶどうの木」などが、一組の男女に喜びをもたらすものとして、取り上げられています。特に、「いちじく」や「ぶどう」は、旧約聖書において、平和や豊かさを表すものの象徴として扱われてきたことからも(申命記8:8、ミカ書4:4、ゼカリア3:10参照)、
確認4 この二人はある意味で理想的な環境、まるで創世記2章のような状況に置かれているのです。もちろん、雅歌の男女の関わりは、単純に「理想的」なものとは言えません。むしろ、紆余曲折をへて、関係性が成熟していく軌跡が、雅歌には示されているからです。ただ、彼らの姿が、一つのあるべきモデル、回復された関係を教えるものだと考えることはできると思います。
確認5 また、この男女の愛のやり取りから、神さまと神の民の関係について、類比的に学ぶことができると思います。というのも、雅歌には、神さまと神の民との契約関係を表すために用いられていた言葉がちりばめられているからです。
特に16節の「わが愛するものは、わたしのもの、わたしは彼のもの」という表現は、「あなたがたは、わたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」(エレミヤ30:22他)と言う契約の定式を想起させるものです。
雅歌を通して、真の愛の源泉である神さまに思いをはせることができたら、とても幸いなことではないでしょうか。
祈りましょう。
神さま あなたが、わたしたちに与えてくださったこの雅歌を通して、あなたの御心を豊かに汲み取ることができるようにしてください。また、あなたと隣人を愛することができるように成長させてください。 御子イエス・キリストのみ名によって祈ります。 アーメン