「イエスさま誕生の次第」 マタイによる福音書1:18~25

「小羊の会」2023年1月19日

法亢聖親牧師からのメッセージ

        「イエスさま誕生の次第」                  (マタイ1:18~25)

 「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。』これは、『神われわれと共にいます』という意味である。」(マタイ1:23)

1 神さまと正しい関係にされる
 この聖書の箇所の主題は、処女降誕ではなく、マリアは「聖霊によって身ごもった」という事実です。イエス・キリストの受肉(インカネーション)の不思議は、詮索(せんさく)の対象とするべきではないと思います。私たちは「あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨に入るかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。」(コヘレト・伝道の書11:5)ましてや、神さまのひとり子が、処女の胎内で、どう形作られたかを知ることができるはずがないのです。マタイが語る中心は、神の霊がイエスさまの誕生において、天地創造以来最も力強く働いたということです。イエスさまの「イエス」とは、ユダヤの名前の「ヨシュア」のギリシア名で、「神は救い」という意味です。「救い」とは、人がキリストの贖いにより神さまと正しい関係にされ、究極のさばき(永遠の滅び)から免れることを言います。

2 神われらと共に
 マタイによる福音書の特徴は、イエスさまの誕生の次第を、旧約聖書の預言の成就であることを指し示し、ユダヤの人(イスラエルの民)たちにイエスさまをメシア(キリスト・救世主)として受け入れるように説得するためでした(1:22)。ある神学者が「神さまは、イエス・キリストにおいて罪人と共にあることを決意された」と言っているほどです。神さまのひとり子であるイエスさまがこの世に来られて、神さまの愛、憐れみ、恵み、正義を現されました。イエスさまが来られるまでは、人は神さまについて、しばしば間違った考えを持っていました。神さまを想像し、暗中模索をしていたのです。イエスさまの降誕とともに、神さまを想像していた時代は去り、神さまと人について真理を知ることができるようになったのです。それがイエスさまの名は、インマヌエル(神われらと共にいます)と呼ばれる(1:23)と言うことの意味です(ヨハネ3:34~36)。
神さまは、御子となられ、そして今は、聖霊となられ「いと近き助け主」として、また、「慰め主」としていましたもうのです。

3 神さまの義 愛による義
 ヨセフは、正しい人であったと19節にあります。いいなづけのマリアを愛していたので、さらし者にしたくないと考えて婚約を解消しようとしました。しかし、神さまは、人の義(正しさ)に対してノーと言われました。それは、ヨセフにとっては義であっても、つまり当時の律法を守るということであり、自分を守ることであって、マリアにとっては無情な扱いとなるのです。無情な扱いは、たとえ正義の行為であっても相手のためにはならないのです。この世の正しさをふりがざしても「正しい」こととはならないのですヘブライ語のディカリオス「正しい・義」がマタイ福音書のここで最初に使われています。つまり、マタイによる福音書は、神の前に何が正しい事であるかを問題定義しようとしているのです。この世の義(旧約の律法を守ること・良い行いによる義)と神による義とを。実に、マタイは、自分の福音書を通してパウロが説いた「信仰による義」の問題を既に定義しているのです。

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