「すべては同じところに」伝道の書3:18~22

「聖書の学びの会」2023年1月18日

 法亢聖親牧師からのメッセージ

        奨励題 「すべては同じところに」         伝道の書3章18節~22節
 
 「私はまた、神が罪深い今の世界をそのままにしておくのは、人間を試すためであり、人間が獣と変わらないことを悟らせるためであることに気づきました。人間も動物も、同じ空気を吸い、同じように死んで行きます。人間が獣より優れている点などないのです。何と空しいことでしょう。どちらも同じ場所に行くのです。土から出て土に帰るのです。こんなことを言うのも、人の霊は天に上り、動物の霊は地中深く降りて行くことを、誰ひとり証明できないからです。だからこそ、自分の仕事に生きがいを見出す以上に幸福なことはないと判断したのです。これが人間が地上にいる理由です。未来に起こることを楽しむことはできないのですから、今のうちに人生を十分に楽しむことです。」(伝道の書3:18~22節リビングバイブル訳)

 創世記は、人がほかの動物と違うことを示しています。同じものを食べますが(創世記1:29,30)、人は神さまのかたちに造られています。(創世記2:7、19)、人の鼻にはいのちの息が吹き込まれています(創世記2:7)。神さまが天地万物に名前をつけられたように(創世記1:5、8、10)、人は動物に名前をつけています(創世記2:20)。
 ところが伝道者は、「神は彼らを試みて、自分たちが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ」と語るのです(18)。人は万物の霊長だ、と考える私たちに、あなたがたと動物は何も変わらない、と諭すのです。
 なぜ人と動物の違いはないと主張するのでしょうか。最終的には同じ結末を迎えるからです。人は死に、動物も死にます。両方とも同じ「息」、それぞれに体を動かすいのちとしての霊をもっています。神さまがその霊を取り去ると、どちらも死にます。死と言う観点から考えると、人は動物に勝らない、と伝道者は答えるのです(18,19)。
 死は残酷です。動物との違いに加えて、生きている間に私たちが一生懸命築き上げたと思っていた違いを、容赦なく奪い取ります。富んだものと貧しい者、知恵のある者と知恵のない者、権力のある者と圧政下で苦しむ者。生きている間に大切であると考えてきたこれらの違いは、死の前ではまったく無意味です。死は、あらゆる違いを容赦なく奪い取ります。「すべて」は同じ所に行き、「すべて」は土の塵(ちり)から出て「すべて」は土の塵に帰ります(20)。人は大地の塵で造られ(創世記2:7)、獣たちもそうだからです。
 人が土の塵に帰るのは、主の命に背いて、園の中央にある善悪の知識の木から取って食べたからだ、とあります(創世記2:17,3:17,19)。いのちの木から遠く離されてしまった人の定めです(創世記3:22~24)。しかし、伝道者は、人が土の塵に帰る原因を述べません。人は動物と変わらないと語るのみです。人を生かした霊が上に昇り、動物を生かした霊は下に降りて行くということを言う人がいたとしても、それに根拠などあるのか、と問いかけます(21節)。すべては同じところに帰って行きます。太陽や川や風と同じです(1:5~7)。世界に仕掛けられている「死」という罠(わな)にはまったら、そこから抜け出せないのです。私たちは自分の独自性(アイデンティティ)を重んじます。「あなたは特別な一人だ」と言われ心から嬉しいと思います。しかし、私たちは同時に、始まりと終わりは特別な人になりたい、と焦る私たちに対して、伝道者は、あなたはほかのものとは変わらない、死と言う同じ定めを共有する被造物である、と冷めた目で語っています。そして、死ぬものであるという自覚から人生を見直すことを勧めているのです。

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