「神様からの最高のプレゼント」 ヨハネによる福音書3:16~21

深谷教会待降節第3主日礼拝2022年12月11日
司会:悦見 映兄
聖書:ヨハネによる福音書3章16~21節
説教:「神様からの最高のプレゼント」
    法亢聖親牧師
讃美歌;21-231、241
奏楽:小野千恵子姉

       説教題        「神さまからの最高のプレゼント」           ヨハネ3:16~21

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)
 クリスマスの精神は、愛の心です。クリスマスと言う出来事は、神さまの愛そのものがこの世に与えられた出来事です。即ち、神さまが天から降って、人となられ、人類のすべての苦しみを味わい、最後は自らの命を十字架上で捨て血を流され、私たちの罪と咎(とが)を贖う血潮としてくださり、且つ3日目に死を打ち破りよみがえることによって全人類に永遠の命に至る道を開いてくださったのです。
イエスさまは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)と言われました。イエスさまご自身が、私たちが父なる神さまの御許に行く道なのです。
 クリスマスは、神さまがご自分の最愛の御子をこの世に遣わしてくださった、即ちご自分の持っている最高のものを人類にプレゼントしてくださった恵みの日です。神の愛(アガペー)とは、自分の持っている最高のものを与えることです。神の愛(アガペー)とは、隣人を幸せにするために惜しみなく自分を与えることです。
 イエスさまご自身が本当の愛について語られています。「はっきり言っておく。『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである、だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。』」(ヨハネ12:24、25)と。
 一粒の麦とは、イエスさまご自身を指し、地に落ちて死ぬとは、全人類の救いのために十字架上で死ぬことによって義と認められ、イエスさまの場合は、人間を神の国を継ぐ者とする権限を得ると言うことです。私たちの場合は、神の国を継ぐものとされるということです。 
この世の有限な命の殻を破って、つまり古い我を十字架につけて、イエスさまの十字架の血潮により贖っていただき新しい命・永遠の命を頂いて生きることが愛の実を結ぶ生き方・神の子とされた者の生き方だと言われたのです。
 この神さまの愛の成就者イエス・キリストを信じ受け入れ、イエスさまに従い、イエスさまと共に歩む者は永遠の命を持ち神の国を受け継ぐ者となるのです。また、隣人のために命を捨てるとは、隣人のためにいのちを削って生きると言うことに他なりません。
 アドベントクランツのローソクをご覧ください。ローソクは、芯を燃やし体の蝋(ロウ)を少しずつ燃やして、周りの人々を明るく照らし、完全燃焼して燃え尽きます。また、ローソクは、周りを照らすだけでなく、周りの人々を暖かくしてローソクの使命を終えます。そして、ローソクは、この世ではその姿は消えますが、天において生まれ変わるのです。天において永遠に燃え続けるローソクは、まことの光となるからです。こうした意味からローソクは、地の塩・世の光であるキリスト者の生き方を指し示しているように思います。ローソクは、己が身を燃やしながら、神さまの愛の完成者イエス・キリストの生き方を無言で伝えています。
 クリスマスは、神さまが最高の贈り物である救い主、御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださった、最高のプレゼントをしてくださっためでたい日です。
 私たちも神さまの子として、父なる神さまの愛に応えて、この身をおささげして生きて行きたく思います。自己中心の自分を十字架につけてしまい、惜しみなく与える愛を持って人々に仕えていくことこそ神さまに対する最高のプレゼントとなるのだと思います。

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