「聖書の学びの会」2022年12月7日
法亢聖親牧師からのメッセージ
「まるで天での再会を見ているよう」 ローマ16章1~15節
「ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして彼女があなたがたにしてもらいたいことがあるとすれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。」(16:1,2)
ローマ人への手紙の最後は、パウロの個人的な挨拶で締めくくられています。「・・によろしく」と20回以上繰り返されています。28名の個人(名前の記されていない「母」「姉妹」一人ずつを含めて)と、五つの家族あるいは「家の教会」に宛てた挨拶です。
22節に「(この手紙を筆記したわたしテルテオも、主にあってあなたがたにあいさつのことばを送る)」(22)とありますが、パウロは、コリントにあるガイオの家で(23)、椅子に座り、ローマにいるキリスト者の顔を思い浮かべながら、一人一人の名前を挙げて、感謝と挨拶を述べたのだと思います。
テルテオによって口述筆記された手紙は、ケンクレヤにある教会の奉仕者であるフィベによって、ローマに運ばれる手はずとなっていました(1,2)。パウロは、ローマの信徒たちに、フィベを主にあって歓迎し、助けるようお願いしています。フィベは女性ですが、コリントからローマまで約1200キロをひたすら歩き、船を乗り継いで行く、行動力のある奉仕者でした。
ここに名前が挙げられた人たちは、おそらくクラウデオ(クラウディウス)帝による首都ローマからユダヤ人追放令(使徒18:2)によって各地に散らされたのが、紀元54年の10月にクラウデオ(クラウディウス)帝が亡くなったことにより、ローマに帰還してきた人々ではないかと思われます。
3節のプリスカ(使徒行伝では、プリスキラ)とアクラは、パウロと同じ天幕作りを生業とし、パウロはコリントで二人の家に一緒に住み、福音宣教に携わっていました。彼らは命の危険を顧みずパウロを助けたことがありました。パウロは、そのような出来事を思い起こしながら、「キリスト・イエスにあるわたしの同労者、プリスカとアクラとによろしく言ってほしい」と書き送ったのだと思います。
7節のアンドロニコとユニアは、パウロと共に投獄された、まさに「戦友」でした。
13節の「主にあって選ばれたルポス」は、ゴルゴタの道行きで、主の十字架を担がされたクレネ人シモンの息子(マルコ15:21,22)であると推測されます。パウロは、彼の母を「私の母」と呼び、親しい交わりがあったことをうかがわせています。
ここに名前が挙げられている人たちは、パウロの伝道旅行のどこかで出会い、共に福音のために戦った同労者たちであり、信仰の家族でした。パウロは、その場面を思い出し、感謝をささげるとともに、これからも、福音宣教のために共に労する期待と喜びを表しています。
ローマ人への手紙16章は、手紙の最後に付け加えられた「追伸」みたいなものだと考える人もいるようですが、天国で主の御前に再開する時の光景のように思えます。共に福音のために戦った者同士が共有する思い出と感謝、喜びは、人々の記憶にいつまでも残るものであり、天の御国にもっていくことができる相続財産ではないかと思えるからです。「水を汲んだ僕(しもべ)」(ヨハネ2:9)だけが共有することができる、福音宣教の思い出とネットワークは、決して色あせることなく、私たちの心にいつまでも輝いていくのではないでしょうか。