「よき市民として責任を果たす」ローマ13:1~7

「聖書の学びの会」2022年11月9日
 法亢聖親牧師からのメッセージ

「よき市民として責任を果たす」   ローマ13章1~7節

 13章は、キリスト者が市民としてどうあるべきかが示されています。私たちキリスト者は、天に国籍を持つ者です(ピリピ3:20p312)この地上においては、旅人であり寄留者です(へブル11:13p355)。一方で、国家に属する一市民として義務を果たさなければなりません。
パウロが言う「上に立つ権威に従うべきである」の「権威」とは、ローマ帝国を意味していると言ってよいかもしれません。ローマ帝国においては、ローマ法があり、市民レベルでの「法の支配」がある程度、確立していたようです。ローマ市民であるパウロは、祭司長たちから告訴された時、カエサルに上訴しました。(使徒行伝25章p225)。
 そのような「法による秩序」を背景に、パウロは「神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。・・権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である」と、権威に対する従順を教えているのだと思います。
 ところが、パウロがこの手紙を書いた数年後、紀元64年に「ローマの大火」が起こりました。皇帝ネロは、災厄(さいやく)に関して自分にかけられた嫌疑をキリスト教徒のせいにして迫害しました。ペテロはこの時、殉教したと言われています。 
注 ペテロは、逆さ十字架で処刑されました。
 バビロン捕囚のさなか、ユダヤ人ながら行政官に取り立てられていたシャデラク、メシャク、アベデネゴが、バビロンの王の立てた金の像を拝むことを命じられた時、彼らはこう答えました。「ネブカデネザル(王)よ、この事についてお答えする必要はありません。もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火が燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたがたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(ダニエル書3章p1225)。
 ダニエルも、バビロンの王以外に祈る者はライオンの穴に投げ込まれるという禁令が出された時、その命令に従わず、いつものように、自分の神さまの前に祈りをささげました(ダニエル書6章p1231)。
 原則として、私たちキリスト者は、よき市民、よき国民として、喜んで法令を遵守(じゅんしゅ)し、勤労、納税、教育など、憲法に定められた権利と義務を果たします。上に立てられた権威に従順であるだけでなく、為政者である王や、高い地位にある人たちが正しく権威を行使できるよう、神さまの助けと導きを祈ります(Ⅰテモテ2:1p)。また、神さまの御心にふさわしい人たちが、上に立つことができるよう願いつつ、選挙権を行使します。
 天に国籍をもちながら、国家という現実の中で、法律を遵守し、自分たちがなしうる義務を果たしていくのです。
 しかし、地上の権威が、神さまの教えに反することを命じるときは、使徒たちが答えたように「人間に従うよりは、神に従うべきです」(使徒5:29)と、人の上にある権威に従えばよいのです。「人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて主を恐れつつ、従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい」(コロサイ3:22,23p317)。

 祈り
 天の父なる神さま
 私たちは天の市民であると同時に、地上の国の市民として、法令を守り、義務を果たしていけるようにしてください。しかし、盲従するのではなく、いつもみ旨を基準として判断することができるようにしてください。また、為政者が神さまを畏れつつ、国民や市民のために政治を執り行うことができるようにしてください。
                     み子のみ名を通して祈ります。アーメン

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