「神を見つめて生きる」 マタイによる福音書24:35~44

深谷教会降誕前第7主日礼拝2022年11月6日
司会:斎藤綾子姉
聖書:マタイによる福音書24章35~44節
説教:「神を見つめて生きる」
   法亢聖親牧師
讃美歌:21-358、18
奏楽:杉田裕恵姉

説教題 「神を見つめて生きる」             (マタイ24:35~44)       

「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。」(マタイ24:35、36)

 本日の聖書の箇所を新共同訳聖書の小見出しには、『目を覚ましていなさい』となっています。そして36節には、口語訳聖書と同じ「その日その時は、誰も知らない。」となっています。その日、その時とは何のことでしょうか。39節の後半と44節にありますように、人の子の来臨のことです。人の子つまり、人となられた神、み子イエス・キリストの来臨のことを指しています。私たちは2000年前の主の来臨・ご降誕と十字架上で救いを完成され、陰府(よみ)にくだり、死と罪を打ち破り、よみがえられ、天に昇られ、神の右につかれ、今は、聖霊となられ、私たちの内に、歴史の内に生き働かれておられる、イエス・キリストの再臨の間を私たちは生きているのです。
 本日の聖書の中で、イエスさまは、私たちの人生の一寸先は、闇であり、何が待っているか誰にも予想できないことを強調されています。
「そのとき、畑に2人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かられ、もう一人は残される。」(マタイ25:40,41)
 この表現は、日本人の私たちには、非常に分かりにくい事柄です。周りを海に囲まれ、隣国からの侵略をほとんど体験したことのない日本人に分かれと言っても土台無理かもしれません。パレスティナは、中近東の地中海に面した陸と海両面の交通の要所という地理的条件の整っていることから、昔も今も大国の侵略の的となっているのです。
 ナホム2章10、11節に「『銀を奪え、金を奪え』その財宝は、限りなく、あらゆる宝物が溢れている。破壊と荒廃と滅亡が臨み心は挫(くじ)け、膝は震え、すべての腰はわななき、すべての人の顔は、おののく。」とあり、哀歌4章5~8節に「美食に馴れた者も街にあえぎ紫の衣に包まれて育った者も塵(ちり)にまみれている・・・・・彼らの容姿は、すすよりも黒くなり、街で彼らと気づく者もないほどになり、皮膚は骨に張り付き、枯れ木のようになった。」とあります。
 一瞬のうちに金持ちが物乞いに代わり、権力者が路上に投げ出され、これまでの勝者が敗者の前にひざまずく、それは歴史の中で絶えず繰り返されてきたことです。人生の一寸先は分からないということは、悲惨な歴史をくぐり抜けてきたユダヤ人の肌にしみ込んでしまっていることなのです。
遠い昔はバビロニア捕囚、イエスさまの時代の直後は、ローマによる捕囚、それ以降イスラエルの民は、20世紀に入るまで国土のない流浪の民となる憂き目を経験してきました。でもそれはユダヤ人だけではなく、すべての人々の人生の真実です。一寸先は、闇ということを避けることは、私たちの力では、不可能なことです。予想もしない時に、私たちを闇に突き落としてしまうものは、戦争だけではありません。私たちが11年前に経験した地の基が揺れ動くという大地震、大津波、原発事故、今世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスなどもそうですが、日常の営みの中に潜んでいます。
 イエスさまは目先の幸せに有頂天となり、無防備になっている私たちに、また逆にあまりにも将来に悲観的になり、おびえながら生きている私たちに対して、大切な人生をゆるぎないものにするために、また希望を持って生きていくために神を見上げ、神の国を見つめ仰ぎつつ生きていくことを勧めておられるのです。主がいつ来臨しても(終末の時がきても)よいように、心備えをしつつ永遠に滅びることのない神の言葉に従って生きていくことを(マタイ24:35、36)です。
 そのような心がけを持ち、主のみ言葉を信じて生きる者の人生は、「人生一歩先は光」と変わるのです。
そうした、主がいつ来臨してもよいように、心備えをしつつ永遠に滅びることのない神の言葉に従って生きた一人がブルームハルトです。彼は、19世紀末の非常に霊的敬虔な牧師でした。次のような有名なエピソードがあります。彼は、いつも牧師館の庭にまだ誰も乗せたことのない新しい馬車を用意していました。そして、「あの馬車は何のため」と人から尋ねられると、「主イエス・キリストが再臨した時、自分がそれに乗って直ちにそこに駆けつけて、主をお迎えするためなのです」と答えたそうです。
 ブルームハルトの祈りの一つをご紹介いたします。
 災害が繰り返される時の祈り
「恐怖と危機とが、こんなにもさまざまな仕方で、しかもたくさんの人々を襲ってくる。今、今日襲ってくる。しかしそのような時でさえ、この世界の多くの人々の心が、神さま、あなたに向けられますように。静かに、あなたのみ霊がもろもろの人々の心の中へと明らかに示され、多くの神の恵み、すなわち平安と慰めと希望の経験を皆がすることができますように。心から祈ります。 み子のみ名によって祈ります アーメン」
「静かに、あなたのみ霊がもろもろの人々の心の中へと明らかに示され」とは、どういう意味でしょうか。知らず知らずのうちに神さまと神の国の(神さまのご支配を受ける)経験をしていると、神さまが気がつかないうちに人々の心の中に入ってきてくださるということでしょうか。

 天の父なる神さま  今年も早いもので11月に入り、今朝わたしたちは、降誕前第7主日礼拝をささげています。神さまに心を向け、主のご降誕に感謝するとともに、主の再臨の約束を覚えつつ、神の救いのみ業の完成の時を待ち望みながら歩んで行く者とならせてください。心の目、信仰の目を覚まして終末的に1日1日を精一杯主と共に、隣人と共に、特に家族と共に、また神の家族である教会の兄弟姉妹と共に生きていくことができますようお導きください。  み子イエス・キリストのみ名を通して祈ります。 アーメン 

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