「礼拝者としてふさわしく生きる」ローマ12:9~21

「小羊の会」2022年11月2日

 法亢聖親牧師からのメッセージ

「礼拝者としてふさわしく生きる」   ローマ12章9~21節

 「兄弟の愛をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい。熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、艱難に絶え、常に祈りなさい。貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。」(12:10~13)
 12章は、前章迄の教義的、神学的な論調から一転して、クリスチャンの実生活に焦点が当てられています。
 1節「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それがあなたがたのなすべき霊的な礼拝である」、2節「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである」。
 イエス・キリストに出会い救いにあずかった者が、以前の、主を知らなかった古い自分と決別して、心新たに、礼拝者にふさわしく生きるようにと勧められています。
 9節から、具体的な指針が示されています。「何々してはいけない」と言う禁止の命令が何度も出てきますが、迫害する者、あるいは、悪を行う者へのクリスチャンの態度に関するものです。
 14節「あなた方を迫害する者を祝福しなさい。祝福して、呪ってはならない」。
 19節「自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである』」、21節「悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい」。
 「呪うな」「復讐するな」「悪に負けるな」と3回も繰り返して言われています。
 ローマ人への手紙が書かれたのが紀元58年ころだとしますと、当時のローマ皇帝によるキリスト教徒への迫害がはじまっていたのだと思います。自分たちを迫害してくる敵に対して、呪う代わりに祝福したり、敵が飢えていたり、渇いたりしている時に親切にするなど、信仰を持つ以前なら、とうてい考えられないことであったと思います。しかし、キリストの十字架の愛を知った以上、悪に対して悪で報いることをやめ、神さまにゆだね、善をおこなうようにとパウロは命じているのです。
 「兄弟愛をもって互いに愛し合い」、「相手をすぐれた者として尊敬し」、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕え」、どんなときも、「望みを抱いて喜び、苦難に絶え、ひたすら祈る」ようにと勧められています。また、「聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなす」ように言われています。これが、イエス・キリストが、ご自身の血をもって買い取られた、クリスチャンのあり方なのです。「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神さまは、私たちが良い行いをするように、その良い行いをあらかじめ備えて下さいました」(エペソ)2:10)。

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