「主イエスに接ぎ木される」ローマ11章13~24節

「聖書の学びの会」2022年10月26日
                     法亢聖親牧師からのメッセージ。

「主イエスに接ぎ木される」   ローマ11章13~24節(p247)

「しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリーブであるあなたがそれにつがれて、オリーブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。」(11:17,18)
 この箇所では異邦人クリスチャンを「野生のオリーブ」の木、ユダヤ人クリスチャンを「栽培されたオリーブ」の木に見立てて、互いの関係を理解し、共に救いにおいて成長していってほしいというパウロのメッセージが語られています。
 栽培されたオリーブの木の枝が切られ、そこに野生のオリーブが接ぎ木されるというイメージを使って、パウロは、神さまのご計画を説明しているのですが、「栽培されたオリーブの枝」とは、アブラハムの選びのゆえに、神さまから律法が与えられ、歴史を通して、訓練されて来たイスラエルを表しています。何といっても、神さまのことばが、かれらにゆだねられたのです(3:2)。一方、異邦人は、律法をもっていません。選びの民としての訓練も受けておらず、まさに、「野生のオリーブの木」と言っていいと思います。
 「栽培されたオリーブ」の枝が切り取られた理由は二つあると、パウロは言います。一つは、彼らの不信仰の故です。ご自分の民のところに来られた救い主イエス・キリストを、彼らは受け入れず、御子を十字架につけてしまいました。まことの光として来られた主を拒絶したのです。その不信仰によって、切り取られてしまいました。もう一つは、異邦人の救いのためです。律法を持たず、歴史的には、何の土台も持たない異邦人が、良いオリーブの木に接ぎ木されたのです。そのオリーブの根から豊かな養分を共に受け、聖なる実を結ぶためでした。それは、本来、ユダヤ人が受けるべき祝福でした。
 この接ぎ木のモチーフは、「神さまのいつくしみと厳しさ」(11:22)が示されています。それゆえ、パウロは、異邦人クリスチャンに対して「思いあがることなく、むしろおそれなさい」(11:20)と命じています。そして、「あなたがたがその慈しみの中に留まっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます」(11:22)と忠告しているのです。また、イスラエルの一部がかたくなになったのは「異邦人の満ちる時」が来るまでであり、やがて、イスラエルにも救いが訪れると、神さまの慈悲が示されています。「兄弟たちよ、あなた方が知者だと自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までの事であって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある。「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信仰を追い払うであろう。」
 エルサレムのゲツセマネの園に、樹齢3000年にも及ぶと言われる、オリーブの木があります。きっとイエスさまが十字架に架けられる前の晩、祈られた時、傍らにあった木だと思います。救い主イエス・キリストの願いは、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、救われて真理を知るようになることです。私たちクリスチャンは、よきオリーブの幹であるイエスさまに、しっかりと留まり、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」と言う御霊(聖霊)の実(ガラテヤ5:22、23p299)を結んでいくものでありたいと思います。

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