「聖書の学び会」2022年9月14日(水)
ー法亢聖親牧師からのメッセージー
「バプテスマの意味と効用」ローマ書の学びパート6 ローマ6章1~11節(p239)
6章は、イエス・キリストを信じた者がバプテスマ(洗礼)について、語られています。パウロの論旨に従って、バプテスマの意味と効用を「罪からの解放」と「新しいいのちに歩む」という二つの面から考えてみたいと思います。
この二つのことはそれぞれ別々のことを言っているのではなく、キリストの死と復活が切り離すことができない一つの神さまの御業であるように、バプテスマが持っている二つの側面なのです。
(1)罪からの解放
「わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリスト共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。」(ローマ6:6,7)
パウロは、バプテスマとはキリストの死にあずかることと述べています。つまり、私たちの「古い人」がキリストと共に十字架につけられ、「罪のからだ」が滅ぼされ、その結果、私たちが罪の奴隷の状態から解放されているというのです。
「古い人」とは、イエス・キリストを信じて救われる以前の「私」です。「罪のからだ」も同じように、生まれつきの罪びととしての自分のことです。もちろん、このことは信仰によることですので、実際には、タイムラグがあります。
習慣化された罪の性質は、洗礼を受けたら、すぐにすべてが変えられるというわけではありません。もちろん180度変えられる方もおられますが・・。たいていは、コリント人への第一の手紙13:8~13にあるように時間をかけて少しずつ変えられていくことと思います。そうです、もはや罪が支配してはいません。やがて、完全な勝利が約束されているのです。ですから、たとえ時々古い人が顔を出して失敗しても、その都度古い人がキリストと共に葬られ、バプテスマの意味と効用(救いの恵み)に立ち返ることができるのです。それが日々新たに生まれ変わる即ち、悔い改めて主に立ち返ること(ヨハネ3:5~7)と聖餐の葡萄酒(キリストの贖いの血潮)の恵みにあずかることが必要となるゆえんです。
(2)新しいいのちに歩む
「すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」(ローマ6:4)
イエス・キリストの十字架の死の後に復活があります。キリストの死と復活は一つなのです。「もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活にもひとしくなるであろう」(ローマ6:5)なのです。
浸礼の場合、水に沈められることによって古い人に死に、水から引き出されることにより「新しいいのちに生まれ変わり歩む」と言うことが象徴されているのです。それは、潅水礼でも、滴礼でも、意味するところは同じです。
「新しいいのち」とは、「神さまのいのち」また「永遠のいのち」のことです。バプテスマによって、永遠のいのちの源である神さまと一つにされることによって、神さまの力を受けて生きるようになるのです。
私たちは、自分がバプテスマを受けた意味を、繰り返し心に刻んでいく必要があります。「このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きているものであることを、認むべきである。」(6:11)とあるように、バプテスマによって、キリストと一つにされた者として、歩んでいきたいと思います。
参考 1. 浸礼(しんれい)とは、洗礼を受ける人を水の中に沈めるバプテスマ。
2. 潅水礼(かんすいれい)とは、 洗礼を受ける人の頭に水をかけるバプテスマ。
3.滴礼(てきれい)とは、洗礼を受ける人の頭に滴下するバプテスマ。
参考 1. 聖餐は洗礼の更新と考えることができます。
祈りましょう。
天の父なる神さま
洗礼を受け、聖餐の恵みにあずかることができますことを感謝致しております。また今朝は、ローマ人への手紙から洗礼の意味を学び返すことができました。重ねて感謝致します。キリストの十字架に日々古い人、古い自分をつけて死に贖っていただき、神さまの命を新たにいただき、新しい人、新しい自分として生き歩んで行けるようにしてください 。
み子のみ名によって祈ります。 アーメン