「驚きから信仰へ」 マタイによる福音書13:51~58

深谷教会聖霊降臨節第5主日礼拝2022年7月3日
司会:西岡義治兄
聖書:マタイによる福音書13章51~58節
説教:「驚きから信仰へ」
    法亢聖親牧師
讃美歌:21-451、458
奏楽:野田治三郎兄

説教題 「驚きから信仰へ」              マタイ13章51節~58節     

 イエスさまは、13章でさまざまな天の国のたとえを話された後で、弟子たちに向かって「あなたがたは、これらのことがみな分かったか」(51節)と尋ねられました。彼らが分かりましたと応えると、「だから天の国の事を学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」(52節)とまとめられました。ここで「学者」と訳されている言葉の原語は、「律法学者」と同じ言葉です。イエスさまは、しばしば律法学者を批判されました(マタイ23章など)。イエスさまに言わせると、律法学者たちは、律法の細部については詳しく、その知識がかえって邪魔をして、律法を大局的に見て判断することができないと批判されていたのです。本当の学者であれば、自分が学んだ知識を、自由にしかも適切に用いることができるはずです。それは、ちょうど、自分の倉の中の古いものや新しいものが沢山入っていて、それら全部を把握し、どこに何があり、それらをどこでどのように使うかを知っている主人のようなものだからです。
 イエスさまが言われる、古いものとは、旧約の教え、新しいものとはイエス・キリストの教えと理解することができるのではないでしょうか。
 イエス・キリストの直弟子たちは、律法学者のような立派な教育を受けてはいませんでしたが、イエス・キリストと言う最高の教師からじきじきに習うことができたのです。聖書の学びは、音楽や語学の習得などと似ているところがあります。独学では、なかなかうまくいかないものですが、良き指導者に手ほどきをしてもらうと、すっと進歩することがあります(使徒言行録8章31)。
 教会に来て礼拝の説教を聞くことや聖書を学ぶ会など、つまり、教会で聖書を読むことにも、やはり独学では得られない意義があるのです。イエスさまは、さまざまな天の国のたとえを語られましたが、それを的外れ(まとはずれ)に解釈すると、「天の国」は何といろいろな形があってどれが本当の天の国なのか分けが分からなくなるのが落ちです。
 さて、イエスさまは、その後そこを去って故郷に帰り、会堂で教え始められました。さきの弟子たちと対照的に、故郷の人々はイエスさまにつまずきました。「この人は、このような知恵と奇跡をおこなう力をどこから得たのだろう」(54節)と驚いたあと、つまずいたのです。信仰は、驚きから始まるからです。山上の説教の終わりにも、「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた」(マタイ7:28)とあります。彼らは、イエスさまが「彼らの律法学者のようにではなく、権威あるものとしてお教えになった」(29)ことに驚いたのです。しかし、この故郷の人々の驚きは少し違っていました。「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、一体どこから得たのだろう」(55,56)。彼らはイエスさまの言葉や業を神さまからの権威と結びつけることができませんでした。イエスさまの生い立ちや家族を知っていることがかえってつまずきとなったのです。「いやまてよ、あの大工の息子がそんな人間であるはずがない」と言う方向へ行ってしまったのです。私たちも信仰によって大きな働きをしている人に出会った場合、その人を活かしている力をなかなか認めることができません。人間的なレベルで解釈して、驚きを解消しようとすることがあります。それではせっかくのチャンスを無にしてしまいます。信仰とつまずきは、裏表です。と言うより信仰はいつもつまずきを伴っています。それを克服した時に、信仰に至るのです。「十字架の言葉は、滅んでゆく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1:18)
 「このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、『預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである』と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった」(57,58)。イエスさまご自身が挫折を経験せざるを得なかったことは、伝道者にとって慰めです。伝道者は、いつも自分の無力さにため息をついて、挫折を経験しています。その伝道が、成功するか、失敗するか。最後の所は神さまにお委ねしながら、祈りながら、自分に委ねられている持ち場をしっかりと守っていくことが求められているのだと思います。
 さて、ここでイエスさまの母は「マリア」と名前が記され、兄弟たちの名前まで記されているのに「父」ヨセフの名前はありません。間接的に、「大工の息子」とだけ記されています。男性中心の当時の習慣からして、このことは不思議なことです。多くの人は、ヨセフは、イエスさまが12歳の時まで生きていたけれども(ルカ2:42)その後、家族を遺して、先に召されてしまったのではないかということです。イエスさまの家庭は、母子家庭だったのでしょうか。この記事からすればイエスさまには弟が4人、妹が数人いたようです。この大勢の子供たちをマリアが女手一つで育て上げることは大変であったことでしょう。きっと長男のイエスさまを頼りにしていたことでしょう。カナの婚礼の記事では、息子のイエスさまを頼りきっていたことが伝わってきます(ヨハネ2:1~12)。しかし、イエスさまの方は、少し距離を置くことがあったようですが(マタイ12:46~50)、深い所では母マリアの事を思いやっておられました。マリアは、息子が極悪人の刑である十字架刑に処せられるのに立ち会わねばならなかったのです。夫に先立たられ、息子に先立たれるのです。しかし、イエスさまは、ご自分の使命(十字架の死と血潮によって全人類を救うという使命)を全うしながら、最後に十字架上から母マリアを思いやった優しい言葉をかけられたのです(ヨハネ19:26)。
 私たちは報われない思いをすることもありますが、最も良い道を主が備えて下さることを信じて、なすべきことを果たしていきましょう。時がよくても悪くても、主の御国(天の国)を備える道を歩んでまいりましょう。
 

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