「ペテロの宣教」 使徒行伝3:1~4:22

深谷教会降臨節第2主日礼拝2022年6月12日
司会:蜂巣恵子姉
聖書:使徒行伝3章1節~4章22節
説教:「ペテロの宣教」
   保母光彦牧師
讃美歌:21-458、441
奏楽:野田治三郎兄

★説教題:「ペテロの宣教」  使徒行伝3章1~4章22節

★暗誦聖句
・6月13日(月):使徒行伝4章12節●
この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。
・6月14日(火):使徒行伝14章9節●
この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め,
・6月15日(水):使徒行伝3章18節●
神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。
・6月16日(木):使徒行伝3章21~22節●
このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。モーセは言った、「主なる神は、わたしをお立てになったように、あなた方の兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞き従いなさい。
・6月17日(金):使徒行伝3章23~25節●
彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼしさられるであろう。サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、「地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう」と仰せられた。
・6月18日(土):ヨハネによる福音書18章15節●
シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。

★説教要約
*目標:何にも勝って救いがすばらしく価値あるものあることを知る。
*主題:イエスの御名による救い。
*暗誦聖句:「この方以外には、だれによっても救いはありません。「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです」。(使徒4:12●)

主題の背景 
前単元でペテロ①・②を2週にわたりペテロを取り上げた。(ペテロ③は本日の資料をお読みください。)十二弟子の中では頭角を現すが、イエスの逮捕の際、主を三度も否定したこと、復活の主との再会と恵みのお取り扱いが宣べられている。

〔テキストの解説〕
1. 「美しの門」での癒やし (3:1~10)
ペテロたちによる神殿での定刻の祈りは、ユダヤの慣習によると思われる。イエスの弟子たちは聖霊降臨と教会を設立という圧倒的な体験をした。一方新しい宗教へのくら替えという意識は希薄で、従来の神信仰をそのまま継承するものと捉えていたことがうかがえる。それが今回の出来事につながる。
神殿の「美しの門」で、足の不自由な者から施しを求められたペテロたちは、彼を凝視する。期待する男に対し、与えることのできるものとして、「ナザレのイエス・キリストの名によって歩くことを命じる。」ペテロが補助すると、立ち上がり、飛び跳ねるほど足が強められた。ペテロたちの凝視は聖霊の導きによる。男に信仰の素地があると察知しての行動であろう(参照14:9)。洞察の正しさは、癒しの後、彼が「神を賛美し」続ける姿に示されている。ここでは神による真実の解決が示されている。金銭は一時的な助けにとどまる。しかし神が提供するのは問題の根本的な解決であり、人生そのものの変革である。「イエス・キリスト」との出会いがそれらを可能とする。

2. ペテロによる説き明かしと勧め (3:11~26)
この出来事に「非常に驚いた人々」が、ペテロたちに駆け寄る。ペテロは少しも偉ぶらず業績を自分に帰することもせず、奇跡の真の担い手は「父祖たちの神」の「しもべイエス」であると告げる。臆せず神による主の復活を宣言し、イエスに対する拒絶と、死に至らしめた彼らの責任を追及する。ペテロは、特にイエスの「受難」に関して、「さて兄弟たち」と前置きしてことばをつなぐ、「あのような行い」は、「無知のため」だったとの見解を示す。これは、同じルカが福音書で書き留めたイエスのことば、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」を想い出させる(23:34)。ペテロは義憤にかられて断罪しているのではなく、神の視点に立って述べている。物事を正しく見るための最善の道は、主のおことばから学ぶことである。ペテロは神のまなざしとあわれみを示しつつ、キリストの出現と「受難」は徹底して預言の成就であることを強調する(「預言者」という語が、18節、21~25節で多用されている)。神のみわざである以上、神を恐れて罪を「悔い改めて神に立ち返るべき」ことを勧める。

3.宗教指導者による尋問 (4:1~7)
ペテロたちが話している中、「サドカイ人」を含む宗教指導者たちがやってきて、二人を捕らえ、身柄を拘束する。説教が中断されたにもかかわらず、男だけでも「五千人」が信じた。」ここにも聖霊の顕著な働きが認められる。宗教指導者たちの素早い対応から、今回の出来事に対する危機感とあせりの大きさがうかがえる。

4. ペテロの弁明 (4:8~12)
この状況は、ペテロにとって心の傷に触るものであったに違いない。大祭司の邸宅でイエスの裁判がなされている最中、彼は三度も主を否定した。ヨハネも「大祭司の知り合い」としてその場に居合わせたが、結局無力であった(ヨハネ18:15●)この時の彼らは、自らの信仰と信念を撤回も隠すこともせず、堂々と「ナザレ人イエス・キリスト」を証しする。対象が変わっても、彼らは説教の内容を少しも変えようとはしない。──先の男の癒やしはイエスによるもの。そのイエスは、あなたがたが十字架につけた方。しかし、神が死からよみがえらせた。それは預言の成就であること。そして、このイエスこそが人間が救われるための唯一の道であること。この時、彼らを一貫して支えていたのは、前述のイエスを通してなされたみわざの数々であり、もとより「聖霊の満たし」であったことが証しされている。

5.その結果 (4:13~22)
同じ聖霊は、宗教指導者にも働いたことが暗に示されている。協議を凝らすも、これ以上ペテロたちに危害をおぼすことはできないとの判断に導き、釈放を余儀なくさせる。
 
6.釈放と脅し
釈放と引き換えに、「イエスの名による宣教活動の禁止」と「脅し」にも、ペテロたちは非妥協の姿勢を貫いた。こうして彼らは宣教の担い手として用いられた。

          【聖書から】 〔使徒3章1~4章22節〕「ペテロの宣教」 (新共同訳)
                     ペテロ、足の不自由な男をいやす
3:1ペテロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2すると、うまれながらの足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばにおいてもらっていたのである。3彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。4ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしを見なさい」と言った。5その男が、なにかもらえると思って二人を見つめていると、6ペトロは言った。「わたしは金や銀はないが 持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」7そして、右手をとって彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、8躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。9民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。10彼らは、それが神殿の「美しの門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気付き、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
                      ペテロ、神殿で説教する
                    以下、3章11~26節省略します。
                  ペテロとヨハネ、議会で取り調べを受ける
                    以下、4章1~22節省略します。

(省略)写真1:ペテロが縛られた鎖
(省略)絵図1:新約聖書時代の神殿

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★参考(説教補足):
            「ペテロ⓷」  ヨハネによる福音書13章36~38節
         (1)ヨハネ13:36~38、(2)ヨハネ18:12~27、(3)ヨハネ21:15~19
★暗誦聖句
・6月13日(月):ルカによる福音書22章32節●
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。
・6月14日(火):ヨハネによる福音書13章36節●
シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。
・6月15日(水):ヨハネによる福音書13章37節●
ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
・6月16日(木):ヨハネによる福音書13章38節●
イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。
・6月17日(金):ヨハネによる福音書18章12~27節●
12 それから、一隊の兵卒やその千卒長やユダヤ人の下役どもが、イエスを捕え、縛りあげて、13 まずアンナスのところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパのしゅうとであった。14 カヤパは前に、ひとりの人が民のために死ぬのはよいことだと、ユダヤ人に助言した者であった。15 シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。16 しかし、ペテロは外で戸口に立っていた。すると大祭司の知り合いであるその弟子が、外に出て行って門番の女に話し、ペテロを内に入れてやった。17 すると、この門番の女が、ペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは、「いや、そうではない」と答えた。 18 僕や下役どもは、寒い時であったので、炭火をおこし、そこに立ってあたっていた。ペテロもまた彼らに交じり、立ってあたっていた。19 大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教えのことを尋ねた。20 イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。21 なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから」。22 イエスがこう言われると、そこに立っていた下役のひとりが、「大祭司にむかって、そのような答えをするのか」と言って、平手でイエスを打った。23 イエスは答えられた、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つの」か。24 それからアンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った。25 シモン・ペテロは、立って火にあたっていた。すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。彼はそれを打ち消して、「いや、そうではない」と言った。26 大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が言った、「あなたが園であの人と一緒にいるのを、わたしは見たではないか」。27 ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。
・6月18日(土):ヨハネによる福音書21章15~19節●
15 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若い時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話になったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
◎イエスは、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか。」と三度(語られる)問われた。

★説教要約
*目標:「弱い私たちを見捨てず支え、愛してくださる主についていく者となる」。
*主題:イエスは弱い弟子たちのためにとりなし、お用いになる。
*暗誦聖句:「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました」。     (ルカ22:32●)

                         ── ペテロ ⓷ ──
 ゲッセマネの園で捕らえられたイエスが裁判を受けた大祭司の家の庭で、ペテロは三度にわたってイエスを知らないと否定しました。初代教会のリーダーの一人となるペテロの大失態であり恥ともいえるこの出来事を、全ての福音書が隠すことなく正直に記録していることは(マタイ26:69~74,マルコ14:66~71,ルカ22:54~60,ヨハネ18:15~27)、驚くべきことではないでしょうか。しかしこのペテロの「裏切り」と「回復」の過程にこそ、神がペテロと主の教会を信仰の本質へと導かれたあわれみのみわざを見ることができるのです。

1.砕かれた自信
 その日、イエスと弟子たちが過越の食事を取った広間には不穏な空気が漂っていました。イエスが弟子たちに、ご自分を裏切る者の存在について突然告げたのです(13:21)。さらに弟子たちのつまづきが予告され、ペテロは心外だとでも言うかのように、「あなたのためなら、いのちも捨てます」と宣言しました(13:37●)。ルカが記録した「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」(22:23)という熱意に満ちたことばは、ペテロの偽らざる思いだったはずです。自分の意思と情熱によって、自分はどこまでも主に従い抜くことができるというペテロの自信が読み取れます。しかしイエスの予告のとおりに、恐れに支配されたペテロはイエスを否み、自責の念に打ちのめされたか、泣き崩れてしまいました(マルコ14:72,マタイ26:75,ルカ22:62)。

2.失敗・挫折から生まれるもの
 信仰の歩みにおいて失敗し、挫折をした経験は、それを二度と繰り返したくないはずです。しかし残念ながらペテロがそうであったように、私たちがどれほどの自信や強がりを口にしたとしても、何度も自分の弱さや罪深さを思い知らせられ悲しむことになります。しかしそのような悲しみの中でこそ、開かれる信仰の目があるのです。
 ペテロの失敗の背後には、サタンの思惑があることをイエスは見抜いていました(ルカ22:31)。サタンの狙いは明らかです。イエスに対する熱情にあふれたペテロが失敗すれば、その心が激しい罪悪感と大きな悲しみに打ちのめされることをサタンは知っていました。この失敗を通してペテロをイエスへの信仰から引き離すことができれば、教会に対する神の計画を台なしにできるのです。
 しかしこのサタンの狙いこそ失敗に終わりました。なぜなら、イエスがペトロのためにとりなしておられたからです。イエスは、ペテロが失敗しないようにとは祈りませんでした。挫折を味わう中で信仰がなくならないようにと祈り、そこからペテロが立ち直ることをあらかじめ宣言していたのです(同32節●)。
 罪の力の前に無力である自分の現実を知り悲しむときに、主は私たちの目を開き、ご自身の深い愛と赦しの恵みの大きさに気づかせてくださいます。

3.使命を与える主
 復活したイエスとペテロがガリラヤ湖畔で再会した時、イエスはペテロに、あなたはわたしを愛しているかと三度問い、わたしの羊を(牧しなさい)と三度命じました(21:15~17節●)。三度イエスを否定したペテロは、今度は三たびイエスに対する愛を告白する機会を与えられたのです。

           【聖書から】 (1)ヨハネ福音書13章36~38節 (新共同訳)
                     ペトロの離反を予告する
36シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたがたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」37ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」38イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
  
                    (2)ヨハネ福音書21章15~19節
                        イエスとペテロ
15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。」「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

                    (3) ヨハネ福音書18章12~27節
                    イエス、大祭司のもとに連行される
12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人に下役たちは、イエスを捕らえて縛り、
13まず、アンナのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。14一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
                     ペトロ、イエスを知らないと言う
15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、16ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。17門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。18僕や下役たちは、寒かったので、炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
                       大祭司、イエスを尋問する
19大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。20イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。21なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」22イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。23イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」24アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
                   ペトロ、重ねてイエスを知らないと言う
25シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペテロは打ち消して、「違う」と言った。26大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」27ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。

(省略)写真1:キドロンの谷の向こう側はオリーブ山。(18:1)
(省略)写真2:エフェソにあるヨハネの墓(21章)

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