聖霊(み霊)によって信仰生活は導かれ霊的に成長する(聖化)

                 「聖書の学びの会」2022年5月11日
                    法亢聖親牧師からのメッセージ

聖霊(み霊)によって信仰生活は導かれ霊的に成長する(聖化)                      
第1コリント2章1節~16節(P257)
第1コリント3章1節~23節(P258)
霊のない人、霊を持っている人                       
パウロは、コリントの教会の信徒に対して、人間には「生まれながらの人」、「御霊に属する人」、「肉に属する人」の3種類の人がいることを語っています。
1 生まれながらの人間 
2-1 肉に属する人 
 パウロは「肉に属する人」とはどのような人なのかを述べています。
 まず、「生まれながらの人」と「肉に属する人」の違いについて見てみましょう。
肉に属する人は、霊は与えられているのです。しかし、その霊に従って生きていません。ですから、この世の考え方や価値観に影響されて生活してしまっています。実生活の中で、霊的に成長しておらず、霊的に幼い状態にとどまっているのです。それが「肉に属する人」と言うことです。
2-2 肉に属する人の律法的信仰という落とし穴
 実は、富める青年と同じでどうしても律法主義を捨てて、主に聞き従い、主に委ねきることができないで苦しんでいる人は少なくないのです。御霊に満たされて生き始めると聖書の読み方が変わります。しなければならないと言う読み方から、泉のように神さまの知恵と力がわきあがってくるいのちの御言葉(霊の糧)に変わるのです。
ps デボーション:日々聖書を読み、祈り神さまと交わること、献身。
3-1 御霊による歩み   
 ローマ人への手紙8章4節に、「御霊に従って歩むなら律法の要求が全うされる」とあります。つまり、御霊に従って生きる者は神さまの要求を完全に満たすことができると言うことです。この意味は、本来私たちが満たさなければならない律法の要求を、イエス・キリストが代わって100%(完全に)満たして下さったと言う事です。イエス・キリストは、十字架と復活によって、私たちが満たすべき律法を完全に満たして下さったのです。ここで大事な真理は、私たちはこのイエス・キリストを信じる信仰によって「罪と死の原理」(ローマ8:2)から解放されたと言うことです。私たちが、もしこの罪と死の原理に立つ律法に照らして裁かれるならば、必ず罪人とされ、滅びの罰を受けなければなりません。それは、単なる肉体の死だけではなく、永遠の霊的な死を意味します。これが「罪と死の原理」ですが、この原理から解放されるためには、命の御霊の原理、すなわち、十字架で死に、そこから勝利されたイエス・キリストの救いを受け入れ、その道を歩む以外に道はないのです。
3-2 罪悪感の理由 3-3 心の穴を埋めるもの
 ところで、この「原理」ということばは、「システム」を意味しています。罪と死のシステムというのは、私たちの行動を支配するシステムです。このシステムに支配されているとしたら、必死に努力をして、ある部分を改善できたとしても、それでこのシステム全体から解放されることはないのです。システムとはそういうものです。このシステムから解放されたければ、命の御霊の原理という、全く新しいシステムに入れ変えなければならないのです。神さまから離れた(堕落した)人間にとって、イエス・キリストを信じること以外に、律法の要求が完全に満たされる方法はありません。ですから、「御霊に従って歩む」とは、私たちが満たすべきだった律法要求はイエス・キリストによってすべて完全に満たされたという信仰に立って歩むということなのです。ここまでのお話は、みなさんも共感されることと思います。こうした信仰を固く持って生きて来られたと思います。ところが普段はそのような信仰に立って歩んでいても、人間関係や個人的な罪、あるいは家族のトラブルなどちょっとした問題に直面した時に、その信仰とは違う感じ方、反応をしてしまうということがあるのです。たとえば、誰かとの関係の中で、相手を傷つけてしまったり、あるいは逆に傷つけられたということがあるとします。その時、自分を振り返って、「あ、これはよくないことだ。私のここが間違っていた」と言って、悔い改めることがあるかもしれません。そして、神さまに赦してくださいと祈り、赦していただいたと確信します。しばらくは、其れで大丈夫です。ところが、少したつとまた、別の問題が出てきます。信仰の歩みの中で、思うようにデボーションができない、隣人を愛さなければと思いながら愛することができない、身近な人の問題に適切に対処することができない、などということです。それらのことについて自分の罪を認め悔い改め、「これからはこういうふうにします」という新たな思いをもって神さまの前で再献身の祈りをします。けれどもやっぱり、しばらくはそれでよいのですが、遅かれ早かれ又何かの問題や課題に直面し、おなじように悩み、そして悔い改め、赦しを得たと確信し、新たな思いをもってスタートするということを繰り返すことになります。
 聖霊による贖いと御力によって日々新たに生まれ変わらせていただき(ヨハネ3:5~8)、神さまの御国の世継ぎである神さまの子どもとして(信仰者として)成長していきたいものです。

祈りましょう
  父なるかみさま
  わたしたちを、主を信じ受け入れ、主と共に生き、主の御旨を聞きつつ生きる者、すなわち御霊の法則に従って生きる者として下さい。
                   御子のみ名によって祈ります。アーメン

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