「マタイ」マタイによる福音書9章9~13節

深谷教会復活節第3主日礼拝2022年5月1日
司会:野田治三郎兄
聖書:マタイよる福音書9章9~13節
説教:「マタイ」
   保母光彦牧師
讃美歌:21-441、442
奏楽:杉田裕恵姉

★暗誦聖句
・5月2日(月):ルカによる福音書5章32節●
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。
・5月3日(火):マタイによる福音書9章6節●
「しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
・5月4日(水):ルカによる福音書5章27節●
そののち、イエスは出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
・5月5日(木):マタイによる福音書9章9節●
さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
・5月6日(金):ルカによる福音書5章29節●
それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いた。
・5月7日(土):マタイによる福音書9章13節●
「『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。

★説教要約
*目標:自分自身も罪人であり、主に招かれ、弟子とされたことを覚える。
*主題:イエスは罪人を招いて弟子にしてくださる。
*暗誦聖句:「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」 (ルカ5:32●)

〔マタイ〕 (マタイによる福音書9章9~13節)
本日は、取税人マタイの召命からから学びます。
 テキストはルカからですが、同じ話はマタイ、マルコでも取りあげられています。興味深いのは、ルカ、マルコではその名前は「レビ」ですが、マタイの福音書では著者本人によって「マタイ」という名前が用いられます。レビが本名で、マタイはイエスから授かった名前とおもわれます。その意味は「神の賜物」です。親からつけられた名前よりも、イエスから与えられた名前のほうをマタイは喜びと誇りをもって用いたことでしょう。ここでは、マタイの名を用いましょう。

1.目を留められるイエス
 聖書は、マタイに目を留められたイエスが、唐突に「わたしについて来なさい」と声をかけ、催眠術にかけられたように「すべてを捨てて立ち上がり、イエスに従った」とありますが、それは表面だけのことです。
 イエスは、取税所にすわっているマタイの心を全て読み取っておられます。
金こそ全てとばかりにこの仕事に就いたものの、実際にはむなしい、砂をかむような日々となりました。このままで人生を終えてしまうのは、なんとしても寂しい。
 マタイが取税人として働いていたのはカペナウム近郊と考えられます。そこはイエスのガリラヤ地方の伝道の拠点です。町ではイエスの語られたこと、なされた奇跡の話で持ち切りでした。同じ町の漁師たちがイエスの弟子となって従っていることも見聞きしていました。
 イエスについての話を聞くにつけ、むなしさはつのり、その方の話を聞きたい、そのお方を知りたいという願いが増していきます。その思いを私たちに具体的に見せてくれたのが、マタイの同業者ザアカイです。木に登ってでもイエスを見たいという、その姿に彼の心の渇(かわ)きが表れています。ザアカイは木の上でイエスの招きを聞き、マタイはその職場で声をかけられました。取税人であるザアカイもマタイも堂々とイエスの前に進み出て、その願いを口にすることのできる者でないことを知っています。そんな取税人の心をよく表しているのがルカ福音書18章の取税人の祈りです。
 「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください』」 (13節●)マタイの心のうちにある思いを知っておられたイエスは、その目をじっと見つめて、一言だけ語りかけました。「わたしについて来なさい」

2.すべてを捨てて立ち上がり
 マタイは上司に相談しません。家に帰って家族と相談しません。「わたしについて来なさい」の一言で、即座に席を立ち、従いはじめます。その席は、一度離れると、もう戻ることはできません。

3.お別れパーティー
 マタイは、多くの人たちを招いて盛大なお別れパーティーを開きました。その宴会は、「イエスのため」のものでした(29節●)。孤独とむなしさの中にいたマタイを、愛と喜びの中へと迎え入れてくださったことへの心からの感謝の宴でした。
 彼はそのパーティーに、仕事仲間や友人知人、親族など、思いつく限りの人々を招きました。それは、彼が取税人という高収入の仕事を捨て、イエスの弟子として従うという新しい歩みに入ったことを知らせるためでした。それはまた、イエスこそ真の救い主であることを人々に証し(あかし)する機会でもありました。
 にぎやかな笑い声が漏れるマタイの家をのぞく人々の顔が見えます。眉をしかめ、冷たい目でその宴会を見つめるパリサイ人、律法学者たちです。近くにいた弟子たちに小声で文句を言います。「なぜあなたがたは、取税人たちや罪人たちと一緒に食べたり飲んだりするのですか」(30節)盛大なパーティーに水を差すような冷たいことばに、イエスが力強く答えます。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです」 (31~32節)
 ◎イエスの答えは、新しい人生の門出にあるマタイへの祝福のことばです。また、自分がどうしようもない罪人であることを認める者への招きのことばです。

〔お気に入りの名〕
 「ロシア」と「ウクライナ」&「レビ」と「マタイ」
 ロシアはウクライナを自国としたかった故に、戦いをせざるを得なかった。一方マタイは「レビ」が親のつけた名「レビ」で、マタイはイエス・キリストが呼び名でつけた「マタイ」と呼んで、本人も気に入って「マタイ」の方を使った、と言われている。
 参照:ルカによる福音書5章27、28節「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。そして彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従たがった。28節」と記されています。

                 【聖書から】 ルカ福音書5章27~32節 (新共同訳)

                         レビを弟子にする
5:27その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」言われたと。28彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。29そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。30ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」31イエスはお答えになった。「医者を必要 とするのは、健康な人ではなく病人である。32わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

                         (写真添付省略します)
                         マタイの彫像。(9:9)
   
                   【聖書から】 マタイ福音書9章9~13節 (新共同訳) 

                            マタイを弟子にする
9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

◎「マルコとルカはマタイをレビと呼んでいる。(マルコ2:14,ルカ27:28)他は前述「レビ」と「マタイ」
◎マルコ2章14節「そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさいと言われた。」彼は立ち上がってイエスに従った。     

                        ・「イエス・キリストの呼びかけ」    
                  【聖書から】 ルカによる福音書5章27~29節 (新共同訳)
          
                           レビを弟子にする
5:27その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。28彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。29そして自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いた。

 
                            (写真省略)

                  カペナウムの会堂(主イエスが出入りしていたと考えられる)

              
                           (地図省略)

                   新約時代のパレスチナ(紀元後6~70年)の地図

◎イエス様の生涯(概略)
 紀元前 37年:ヘロデ大王が生まれる。
  〃 6/5年:イエス様が生まれる
  〃 5/4年:イエス様エジプトへ逃亡
  〃   4年;ヘロデ大王の死
  〃 4/3年:イエス様ナザレへの帰還
 紀元   6年:ユダヤがローマの属州になる
  〃 6/7年:少年イエス様が神殿へ
  〃   14年:テべりオ皇帝に即位
  〃   26年:ポンテオ・ピラト総督に就任
  〃 26/27年:イエス様が宣教開始
  〃   28年:イエス様が12弟子を任命
  〃   29年:イエス様が5千人に食物を与える
  〃   30年:イエス様の十字架刑、復活、昇天 

◎アフィエーミ(究極の赦し)
 5:24神は、注風をわずらっている人に与えられたその同じ赦しを、すべての信じる人に与えてくださる。
 ギリシャ語アフィエーミは「赦す」と訳されるが、放置する、手離す、債権を放棄する、追い払うなどの意味がある。赦しとは、行われた悪にも拘らず、関係が修復されたことを意味する。しかし罪の行為は、拭い去ることも変えることもできない。けれども、アフィエーミの概念は、人間の赦しをはるかに超える。なぜなら、それは二つの方法で罪が拭い去られることを含むからである。
(1) イエスが罪の代価を支払ってくださったので、律法と正義の要求は満たされた。従って、もはや信者は罪によって責められることはない。
(2) 罪を犯した責任が取り除かれ、キリストの正義が与えられる。
 信者たちは、そのように赦されるので、神の目には、まるでこれまで一度も罪を犯したことがないように見なされる。あなたは、自分が犯した罪のために、重荷を負っていないだろうか。キリストにすべてを告白し、アフィエーミという究極の赦しを受けよう。

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