「イエスの復活」マタイによる福音書27:62~28:15

深谷教会イースター礼拝2022年4月17日
司会:廣前成子姉
聖書:マタイによる福音書27章62節~28章15章
説教:「イエスの復活」
    保母光彦牧師
聖餐式:法亢聖親牧師
讃美歌:21-325、21-334
奏楽:野田治三郎兄

★暗誦聖句
・4月18日(月):マタイによる福音書28章6節●
もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
・4月19日(火):マタイによる福音書27章63節●
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました」。
・4月20日(水):コリント人への第一手紙15章4節●
そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
コリント人への第一手紙15章20節● 
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
・4月21日(木):ローマ人への手紙1章4節●
聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
・4月22日(金):ローマ人への手4章25節●
主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。
・4月23日(土):コリント人への第一の手紙15章55節●
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

★説教要約
*目標:イエスの復活は事実であり、私たちの救いの土台であることを知る。
*主題:イエスは死からよみがえられた。
*暗誦聖句:「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです」。 (マタイ28:6●)

〔イエスの復活〕(マタイ27:62~28:15)
 本日はイースター礼拝(復活祭)ですが、最初のイースターについては、聖書に興味深いことを私たちに告げています。
 イエスは、これまで繰り返し御自分の死と、三日後のよみがえりを予告していました。ところが、弟子たちの誰一人として、そのことを記憶にとどめ、信じた者はいません。従っていた女性たちも同じでした。主の死をありえないこと、あってはならないことと否定していた彼らですから、その後の復活の予告など心に留まるはずもありません。

1.イエスの復活を心に留めた人々
 ところが、それを心に留めていた人たちがいました。イエスを十字架に追いやった祭司長やパリサイ人たちです。ピラトのところに集まって進言します。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました」(27:63●)
 そこでイエスの遺体が収められた墓は封印され、番兵たちが見張ることになりました。
 人間の一生は葬りで幕を閉じます。イエスの生涯も27章で終わるはずでした。ところが、「さて」で始まる28章が続きます。歴史の中で、その死の後に、新しい展開を示す「さて」が続くのはイエス以外にはありません。 

2.復活があきらかにしたこと
①聖書が真実であったことが明らかに
復活は旧約聖書に預言され、イエスご自身が予告されていました。それが実際に起こったのです。「また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと・・・」(1コリント15:4●)
②イエスが神であることが明らかに
復活によって、イエス・キリストがただの人ではなく、また人をだますペテン師でもなく、単なる歴史上の偉人、英雄、聖人でもなく、確かに神の御子、子なる神であることが明らかにされました。「聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです」(ローマ1:4●)
③十字架の死は、罪を赦すに十分であったことが明らかに
復活がなかったら、本当に私たちのために死なれたのか、わかりません。ローマにたて突いた政治犯か、ただの誇大妄想狂であったかもしれません。父なる神が、その死で十分だ、満足したとしてよみがえらせたのです。私たちが確信をもってイエスを信じ、その赦しを信じていいのです。「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました」 (ローマ4:25●)  
④死が呪いから祝福されたものへと変えられた
イエス・キリストは復活により、人間の最後の敵、最大の敵である死を討ち滅ぼしてくださいました。私たちは死を恐れます。死の恐怖の奴隷だと聖書は私たちのことを呼びま
す。死にはトゲがあって、罪人の心を刺し、魂はそのトゲを恐れ、震えています。死のトゲは罪であると聖書は教えます。しかしイエスの十字架と復活により、死のトゲは完全に抜かれました。のろいとしての死が、さらに勝る世界への入り口として祝福に変えられました。 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」(Ⅰコリント15:55●)
⑤私たちの復活への初穂となってくださった 
復活のキリストは、触ることのできる肉体をもっておられました。 しかし、以前のように疲れたり、渇いたり、飢えたり、傷ついたりするものではなく、栄光の体と呼ばれる不思議なものでした。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中か らよみがえられました」(Ⅰコリント15:20●)
3.キリスト教とは
キリスト教はキリストご自身です。2千年前の歴史上の人物としてではなく、今も生きて私たちと共に歩み、私たちを導き、私たちを生かしてくださるお方です。イースターの喜びはここにあります。   
    
                 【聖書から】 マタイ27:62~28:15 (新共同訳)

                            番兵、墓を見張る
62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトの ところに集まって、63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者はまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。64ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは 死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わせられることになります。」65ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」66そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。 

                              復活する
28:1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。3その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。4番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。5天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、6あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。7それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」8婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

                             番兵、報告する
11婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。12そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、13言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った。』と言いなさい。14もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」15兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。お話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

*以下の写真は割愛します。(週報でご覧ください)
 1.現在のべたニア。(26:6~13) イエス、ベタニアで香油を注がれる。
 2.カリカントにある聖ペテロ教会、言い伝えによると、ペテロがキリスト否定した所(26:69~76)
 3.冠に使われた茨:イエスの鞭打ちを記念して建てられたフランシスコ修道院の前に生えている。(27:29)
 4.茨の冠:いばらで冠を編んでその顔にかぶらせ・・・(27:29)
 

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