受難節第5主日礼拝2022年4月3日
司会:山口奈津江姉
聖書:ヨハネによる福音書13章1~20節
説教:「弟子の足を洗う」
保母光彦牧師
讃美歌:21-543,544
奏楽:杉田裕恵姉
★暗誦聖句
・4月4日(月):①ヨハネによる福音書13章14節●
しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗うべきである。
・4月5日(火):③ヨハネによる福音書13章3節
イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
・4月6日(水):④ヨハネによる福音書13章4節
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
・4月7日(木):⑥ヨハネによる福音書13章6節
こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
・4月8日(金):⑤ヨハネによる福音書13章18節
あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、「わたしのパンを食べている者 が、わたしにむかってそのかかとをあげた」とある聖書は成就されなければならない。
・4月9日(土):②ヨハネによる福音書13章20節
よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。
★説教要約
*目標:使命遂行を目前にしての、主イエスの心を知る。
*主題:イエスは仕える者の模範示された。
*暗誦聖句:「主であり、師であるこのわたしがあなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた互いに足を洗い合わなければなりません。(ヨハネ13:14●)
〔弟子の足を洗う〕 (ヨハネ福音書13:1~20)
〔最後の晩餐〕 (マルコ福音書14:12~16)
イエスは十二弟子に過越の計画を進めるように指示している。エルサレムにある一軒の家の二階広間で、過越の食事を準備するのだ。最後の晩餐でもある。──を始めたときには夜になっていた。イエスは、自分に残された時間が少ないことを意識している。これもまた一つのメメントモリ(汝の死をを覚えよ)だ。読み手には、イエスが神から発した力で自分の運命を予知したことが示されている。
食事の後、イエスは12人に裂いたパンを分け与え、ぶどう酒を注ぐが、ご自身は「神の国で新たに飲むその日まで(マルコ14:25)どちらも口にしないと断る。ここでイエスは神学的な議論と対になった教え、最後の晩餐の制定語を唱える。制定語は4種類(マタイ26:26~29,マルコ14:22~25,ルカ22:15~20、Ⅰコリント11:23~26)ある。しかし、イエスが間近に迫った死と復活を、晩餐に加わっている、似た運命をたどる弟子たちと結びつけている点は共通している。そのパンを食べ、そのぶどう酒を飲むことで、結び付きが生まれるのだ。
パウロはコリント人への第一の手紙2章11節{いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知る者はない。」で、キリスト教徒が最後の晩餐を繰り返すことは単なる過去の出来事の記念ではなく、今、現在のためにも、そして終末に備えるためにも意味があり、そうした点ではキリスト再臨を待つのだと解説している。またどの福音書も最後の晩餐が過越祭間近に行われたと強調している。これより「古い」ユダヤ教の過越祭とイエスが過越の小羊(パウロがこの言葉をつかっている。(Ⅰコリント5:7))になる新しい過越祭と明白な類似点に、読み手の関心が向くようになっている。
出エジプトの物語でイスラエル人が救われた意義が今度は、キリストの救い─その犠牲的な死によってもたらせると信じられていた─に当てはめられている。ヨハネの福音書では出来事の順序が変えられ、2階広間での食事は過越祭の前日とされているが、イエスと過越祭の象徴的な結び付きは見失われていない。イエスはユダヤ人たちが来るべき過越の食事のため小羊をほふる、まさにその時に死を迎える。
(絵画:省略)
フアン・デ・フアネス作「最後の晩餐」。画風も色使いも豪華さをただよわせる傑作。
イエスと弟子たちがエルサレムに集い、最後の食事をした。
(写真:省略)
聖エティエンヌ(ステファノ)修道院。 キリスト教最初の殉教者を記念して建てられた。
(使徒言行録7章)
使徒言行録6章ステファノたち7人の選出。ステファノの逮捕
使徒言行録7章ステファノの説教7:1~60,8:1ステファノの殺される。
(サウロはステファノの殺害に賛成していた)
【聖書から】 (ヨハネ13:1~20) (新共同訳)
弟子の足を洗う
13:1さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。2夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。3イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
③4食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
④5それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
⑥6シモン・ペテロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。7イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。8ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられたと。9そこでシモン・ペテロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
(彫刻の写真:省略)
足を洗うイエスの彫刻。(13:1~11)
10イエスは言われた、「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい、あなた方は清いのだが、皆が清いわけではない。」11イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。12さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着て言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。13あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
①14ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。16はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。17このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。
⑤18わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。19事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。
②20はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
【最後の制定語〔主の晩餐〕みことば4つ
マタイによる福音書26章26~29節
主の晩餐
26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。」28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作った物を飲むことは決してあるまい。」30一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山に出かけた。
マルコによる福音書14章22~25節
主の晩餐
22一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、 弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から 飲んだ。
24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために 流されるわたしの血、契約の血である。25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」26一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山に出かけた。
ルカによる福音書22章15~20節
主の晩餐
14時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。15イエスは言われた、「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。16言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」17そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。18言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」19それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」20食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
Ⅰコリント 11章23~26節
主の晩餐の制定
23わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、 主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」