2021年12月19日
深谷教会クリスマス礼拝
聖書:マタイによる福音書2:1~12
説教:「博士たちの礼拝」
保母光彦牧師
★暗誦聖句
・12月20日(月):イザヤ書33章22節●
主はわれわれのさばき主、主はわれわれのつかさ、主はわれわれの王であって、われわれを救われる。
・12月21日(火):マタイによる福音書2章2節●
「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
・12月22日(水):マタイによる福音書2章3節●
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
・12月23日(木):マタイによる福音書2章8節●
彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」
・12月24日(金):マタイによる福音書2章11節●
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
・12月25日(土):マタイによる福音書2章12節●
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告を受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
★説教要約
*目標:まことの王である救い主の誕生を感謝し、心から礼拝する。
*主題:救い主を礼拝するためにやってきた異邦人。
*暗誦聖句:「主は私たちの王、この方が私たちを救われる」 (イザヤ33;22●)
〔博士たちの礼拝〕 (マタイ2:1~12)
本日の東の方からやって来た「博士たち(魔術師とも訳せるそうですが)」は、降誕劇でもおなじみの存在です。しかし彼らがいった何者であったかの詳細はわからず、後にさまざまな伝承(たとえば、彼らは王であったとか、その名前)が付け加えられています。イエスを礼拝するために遠方よりやってきた彼らの姿から、「真の王を礼拝する」ということについて考えてみましょう。
1.礼拝をするために
以前教会の青年たちがショッピングモールに出かけていき、手当たり次第、そこにいる人たちに声をかけて「クリスマスはどんな日ですか」と聞いたことがありました。ケーキを食べる日、プレゼントを贈り合う日、家族や友人と過ごす日、寂しい日・・・。あなたでしたら何と答えるでしょうか。教会のクリスマスのプログラムや礼拝で忙しく奉仕する日、伝道する日などの答が挙がるかもしれません。
遠い国からやってきた異邦人である博士たちの一行(三人とは記されていません。同行する人たちも多数いたことでしょう)は、たどり着いたエルサレムの町で異彩をはなっていたはずです。ましてやその目的が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を礼拝するために来たというのですから(2節●)
2.恐れるヘロデ王
王の動揺(3節●)の理由は明らかです。
ローマ皇帝に取り入り、イドマヤの王となったヘロデ王は疑い深い心の塊のような人物でした。自分の王位を脅かす存在であれば、妻や息子たちでさえも殺害した記録が残っています。そんな彼が突然耳にした博士たちのことばは、それが旧約聖書に預言された救い主の誕生についてのことであっても、脅威(きょうい)を覚える以外の何ものでもありませんでした。ヘロデにとって自分以外に「ユダヤ人の王」があってはならないのです。彼は心の中に恐ろしい殺戮(さつりく)の計画を立てながら、事が大きくならないように、ひそかに博士たちをベツレヘムに送り出しました(8節)。
「私も行って拝む」(8節●)と口にしたことばとはうらはらに、ヘロデ王にとってのキリストは礼拝する対象ではなく、自分の立場をおびやかす、受け入れることのできない存在でした。このヘロデ王のことを愚かだと思うでしょうか。しかしこの姿は私たちにも当てはまるものかもしれません。イエスを信じ礼拝すると言いながら、私たちの心の中には、あくまでも自分自身を王として、イエスを受け入れず、イエスに従おうとしない部分が残ってはいないでしょうか。
3.確信をもって
幼子イエスの前にひれ伏して、礼拝し、贈り物をささげた博士たちの姿(11節●)を想像するとき、心が熱くなります。直前に訪れたエルサレムで、彼らは豪華な王宮や神殿を目の当たりにしました(ヘロデは建築家としても有名です)。しかし、そこから約9㌔しか離れていないとはいっても、ベツレヘムは小さな村です。星に導かれた彼らがたどり着いたのは、ヘロデ王の王宮とは比ぶべくもない、貧しい夫婦の小さな家でした。それは旅の前にも最中にも、彼らが思い描いたのとは全く異なる光景だったはずです。しかし彼らはためらうことなく、確信と喜びをもって当初の目的のとおりに幼子を礼拝したのです。そんな彼らのように、自分たちも自分の思い込みに固執することなく、うわべの華やかさに惑わされることなく、真実を見る目を絶えず養われていきたいものです。
クリスマスとは何よりも私たちの真の王として生まれてくださったイエス・キリストを礼拝する日です。ほかの何かがそれ以上の目的に取って代わってしまってはいけません。
イエスの十字架の死と復活の後、その福音は聖霊の働きによって広がり続け、その福音は聖霊の働きによって広がり続け、今やあらゆる国の国民、民族がイエスの前に礼拝をささげています。そしてイスラエルから見れば地の果てのような国に住む私たちも、その一端に加えられています。博士たちをベツレヘムへと導いた神が、喜んでささげるクリスマスの礼拝へとあなたを導いてくださいますように。
【聖書から】 マタイによる福音書(新共同訳)
イエスキリストの系図
1アブラハムの子ダビデの子2アブラハムはイサクをもうけイサクはヤコブとその弟たちを、3ユダはタマルによってペトゼラを、ヘツロンはアブラハムを、4アブラハムはアミナダブを、アミナダブはナフションをナフションはサルモンを、5サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによって、オベドを、オベドはエッサイを、6エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、7ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、8アサはヨシャフャトを、ヨシフャトヨタムはヨラムを、ヨラムはウジヤを、9ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを10ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、11ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。12バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、13ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを14アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、15エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、16ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。17こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへうつされてからキリストまでが十四代である。
イエス・キリストの誕生
18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20このように考えていると、天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。24ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、25男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
占星術の学者たちが訪れる
2.1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや立法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。6『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである』」7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現われた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。