「ひとりのみどりご」 イザヤ書9章1~7

2021年11月17日(水) 「聖書の学びの会」
法亢聖親牧師からのメッセージ

【ひとりのみどりご】  イザヤ9:1~7

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(イザヤ9:6)

1 絶望の中の希望
 2~7節を四つに分けてみましょう。2、3節が光と喜び、そしてその理由が二つ続きます。4、5節が神さまによる勝利(一つ目の理由)、6,7節がみどりごの誕生(二つ目の理由)です。―これは、あくまで分け方の一例です。参考にしてください。―
 イザヤは、神の民が絶望の中にあっても、光と喜びを見出すことができる理由が二つあると語ります。それは、(1)神さまが働かれること、(2)ひとりのみどりごが与えられることの二つです。希望を見出せないような中に置かれる時、人間が格闘する延長線上に解決を探すのではなく、神さまによる新しい展開を期待することを信仰と言います。

2 神さまの熱心は痛み
 7節の熱心ということばは、ねたみと訳されることもあることばです。ねたみといっても、
おそらく人間の嫉妬とは違うものです。聖書でもいろいろな使い方がされていますが、全体
のイメージとして激しい思いを現すことばではないかと考えられます。私たちの絶望を希
望に変えてくださるために、神さまは懸命に、熱い思いをもって働いておられます。もう少
し思い巡らしてみましょう。
 イザヤ書63章15節には、熱心ということばと共に「たぎる思い」ということばがあり
ます。痛みというニュアンスで訳されることもあるようです。神さまの熱い思いは愛として
表現されます。愛には、心が温かくなり、あふれ出るというイメージがありますが、それだ
けではありません。愛は赦して受け入れるものです。ゆるす対象を受け止める時に、場合に
よっては痛みを伴います。対象が不完全であればあるほど、それは痛みになります。

神さまは私たちに希望を与えるために、熱い思いをもって、また痛みをもって今も働いておられることを心に留め、主を仰いで進みましょう。
 
3 みどりご(イザヤ9:7)
 神さまの熱い思いはみどりごになることで表現されました。無限で全能の方が無力なあ
かちゃんとしてこの地上に来られる、いくら何でもそこまでおやりになられるかという方
法でした。
 もし、神さまの方法が、天から雷が響くような方法であったり、一夜の内に神の国のよう
な領域がこの世にできるような方法であったり、ある日突然スーパーマンとして現れるよ
うな方法だったら、人々は、なるほど神さまのなさることだと納得したかもしれません。
 しかし、そのような方法では、私たち人間の問題を解決することはできません。
 私たちにとって赤ちゃんは、希望です。見ているだけでなごみます。あかちゃんは、真に
愛されるとはどういうことか。真に信頼するとはどのようなことかを教えてくれるのです。
 しかし、赤ちゃんはまったく無防備で、自分の全部を誰かに依存しなければ一日も生きる
ことができません。また、成長の過程でいろいろな影響を受けるリスクを持っています。素
晴らしい両親に恵まれ、素晴らしい養育を受けるかもしれませんし、親から虐待され苦しむ
可能性もあります。赤ちゃんになるとは人の手に落ちることです。私たちはふつう、完全に
人の言いなりになってしまうことはありません。存在の危機を感じるからです。
 主は罪人である人間の手にゆだねられ、人間とまったく同じ誕生と成長の過程を経験さ
れました。みどりごは、神さまの本気度を表しています。

添付資料:「信仰のものがたり」
星野富弘の「ものがたり」・・・自分が今、こうして絵筆をくわえて作品を描いている不思議

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