2021年10月27日(水)
法亢聖親牧師による「聖書の学びの会」のメッセージです。
礼 拝 パート3 ヨハネによる福音書4:20~24
「だれに対してでも、悪に悪をむくいることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃え盛る炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマの信徒への手紙12:17~21)
自分に関する限り、すべての人と平和を保つこと。
自分にしてほしいことを人々に行うこと。
悪口を言われたくなければ悪口を言わないこと。陰口を言われたくなければ陰口を言わないこと。愛されたければ愛すること。豊かになりたければ与えることなど、すべてにおいて神さまのおしえに沿って歩むことが大切なのです。いつしか、すべての人が神さまの前に立つときが来ます。
「人の子が、その栄光を帯びて、すべてのみ使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光のくらいにつきます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために供えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは、答えていいます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹なのをみて、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイ25:31~40)
これはイエスさまが実際に語られた言葉です。キリストの教えは決して儀式的・宗教的なものではありません。神さまの御霊による愛の行動と愛の生活を実践していくことです。
そして、神さまからすべての祝福を受け取り、そのすべての祝福を具現化する歩みです。まさしく、御心が天で行われるように、地でも行われることなのです。人の子であったイエスさまが歩まれたライフスタイルこそが真の礼拝者の姿であり、私たちの模範です。
聖書には、次ように記されています。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2)
英語で礼拝は、「サービス」と言います。このサービスという言葉は、第一に神さまに仕えることを現しています。そして、神様に礼拝をささげる者は、礼拝者として神に仕えるように人に仕える者となることを現しているのではないでしょうか。
日曜礼拝 A Sunday (worship) service
朝の礼拝 attend (hold) morning service
教会の礼拝に出席する go to church
この他にも、真の礼拝者の生活の中には讃美や赦しや悔い改めなどの教えがあります。